「――瑠璃!どこに隠れてるの?!る、り!!」    うだるような暑さも一段落ついたある秋の日のこと。都の一角に居を構える氷家は、討伐隊が出払っているはずで あるのに随分と騒がしかった。  人気のない館内を歩き回り、乱暴に御簾を跳ね上げては名を呼ぶ。肩の少し下で切りそろえられた艶やかな蜜色の 髪に、ややつりあがり気味の青い瞳、浅黒い肌。額に輝くのは翡翠のような印。その異様な風貌から、鬼に魅入られ た一族――そう都人に噂される、氷家当主の火美子だった。  今朝から一人娘の姿が見当たらない。まだ来訪したばかりの幼子に過ぎない娘だ、家のどこにもいないということ は――。  「あ、当主様。こっちにもいらっしゃいませんっ」  蔵の方から眼鏡を半分ずり落として現れたイツ花がそう告げる。嫌な予感が見事に的中し、火美子は髪を苛立たし げにかきあげた。癖のないその髪は、彼女の苛立ちを煽るようにさらりと指の間をすり抜ける。  「やっぱり外に出たのね!あれほど言ったのにあの子ったら…!イツ花行くわよ、早く連れ戻さなきゃ!」  どこか遠くで、蜩がかなかなと鳴いている。師匠であり母である火美子の苛立ちなど知る由もなく、瑠璃はまだお ぼつかない足取りでぽてぽてと都の大路を歩いていた。秋の爽やかな風が、彼女の髪を優しく撫でていく。頭の後ろ で二つに結い上げたその髪は淡い青。浅黒い肌の母とは対照的に、肌は抜けるように白い。春先の淡雪とその雪に落 ちる影――彼女の肌と髪の色を例えて言えば、そんなところだった。ただその淡雪は白いだけでなく、つくりものの ように繊細で可愛らしい耳や唇、指にほんのりと桃の花びらのような色を宿していた。髪も肌も母に似ていない中、 切れ長の瞳の色だけは母ゆずりの色。染め上げたばかりの藍のような鮮やかな色である。  初めて見る外の世界に瑠璃はご機嫌だった。とにかくこんなにたくさんの人や建物を見たことがない。彼女が足を 踏み入れたそこは市であったため、人だけでなく米や魚などが売られている様も目に入る。家では、まだイツ花が作 ってくれたものしか口にしたことがない瑠璃には、そんなものでさえも物珍しい。また、市で売る品々を積んだ車を 引く巨大な生き物――牛のことだが瑠璃は知る由もない――を見た時は、びっくりして息が止まりそうだった。  人だってみんな不思議なのだ。瑠璃の家では、髪の色が金色であれ、青色であれ、それが当たり前なのに、ここで は全員が判で押したかのように黒々とした髪と瞳をしていた。  何でだろう、みんな墨でも食べちゃったのかな。  小さな胸に手を当ててみると、先ほどからずっととくとくとくと早鐘を打っている。そろそろ風に涼しさが混じっ て来る頃であるはずなのに、頬はほんのりと桃の実のように染まり、熱く感じた。あらゆるものが彼女にとっては新 鮮で驚きの連続だったから、興奮しどおしなのだった。  「どうして母様はおそとに出ちゃいけない、だなんて仰ったのかな。おそとはこんなに楽しいのに」  ――お前はまだ小さいから、一人でお外に出てはいけない。  母は、瑠璃が「おそとに出てみたい」と言うたびにそう言って聞かせていた。  ――私達は都の人たちとは違うの。  ――お前にもそのうち分かる時が来るけれど、私達はあまり人目に触れない方がいいのよ。  何でかな、と瑠璃はちょこんと小首を傾げたが、分からないのでまあいいや、と元気よく駆け出した。ここには珍 しいものがいっぱいあるから、母様やイツ花に何かお土産を持っていこう、と思った。金を持っていない、などとい うことを、この天真爛漫な少女が考えるはずもない。  軒先で干し魚を売っていた男は、目の前に駆けてきた少女を見て顔を強張らせた。  「あのねおじさん、それなあに?」  舌足らずにしゃべるその声音は間違いなくあどけない子供のものだ。  しかし――  「…帰ってくれ」  帰ってきた硬い声に、瑠璃はその名に相応しい色の瞳をしぱしぱさせた。    「え、なあに――」  「それ全部やるから、帰ってくれっ」  男はそう言って逃げるように引っ込んでしまった。瑠璃は意味が分からなかったが、男の態度が友好的でないこと は理解できた。  何だろう。おじさんが厭だと思うようなこと、しちゃったんだろうか――  瑠璃が可愛らしい眉間に皺を寄せてその後姿を見送った時。ふと、周囲から漣のようにひそひそひそと囁き交わす 声が耳に入ってきた。  ――あの、髪の色…  ――氷家の子だよ。  ――鬼の呪いを受けた、あの一族の…  皆が皆、こちらを見てはひそひそひそと囁いている。皆、先ほどの男が見せたような色を黒い瞳に浮かべていた。  ――なんと…噂には聞いていたが、およそ人とは呼べぬ姿よ。  ――近寄るんじゃないよ。子供の形をしているけれど、どんな穢れを持っているやら。    ひそひそ声は止まない。光にあふれていた周囲が、急に色を失ったように見えた。黒い瞳と黒い髪に囲まれて、一 人だけ青い髪と瞳を持つ自分。しん、と場の温度さえも冷え切った気がした。  ――私達は、都の人とは違うの。  母の言葉が、つい先ほどのことのように鮮やかに蘇った。  ここでは、おかしいのは自分なのだ。こんな色をしているのは自分だけだ。  じっとりとした不安と、心細さが這い登ってくる。周囲に、瑠璃の家の者は勿論いない。  瑠璃は、小さな手で頭を隠すようにして駆けた。どこに行っても皆が自分を見ているような気がして、とにかくこ の場から逃げ出したかった。だが帰る道など分かるはずもない。闇雲に駆けるだけだった。  そうして、角を曲がった時である。  どんっ。  不意に何かが前方に現れ、うつむいて走っていた瑠璃は勢いよくそれに衝突してしまった。反動で背中から倒れ、 鈍い音がして後頭部に衝撃が走った。  「ぅわあああぁん!」    「ご、ごめん、大丈夫?」  大の字にひっくり返ったまま、火がついたように泣き出した瑠璃に、うろたえたような声がかかった。 次いで、何者かの手が優しく添えられて、背中の地面の感触がなくなった。  「ごめんよ、でも急にぶつかってくるから…」  涙で紗のかかった視界の向こうに、こちらを覗き込んでいる顔がある。  「頭、大丈夫?」  着物の袖でぐしぐしと顔を擦ると、自分より少し年嵩の少年が、心配そうな顔をしてしゃがみこんでいた。 瑠璃が口をへの字に曲げてこっくりと頷くと、少年は心底ほっとしたように肩の力を抜いて笑った。  「よかった。すごい音がしたから、心配したよ」  まだ鼻をぐすぐすいわせている瑠璃の手を取って立たせてやりながら、少年は小首をかしげた。  「…お母さんは?」  「おうち…でも道わかんなくなっちゃった…」  「ふうん?…じゃあ一緒に帰り道を探してあげるよ。人に聞けば知ってると思うから」  「…ほんと?」  元気よくそう言って手を引いてくれた少年に、心細さのあまり消え入りそうな声になっていた瑠璃は顔を上げる。  しかし、その次に少年が発した言葉に身体を強張らせた。  「――だってその髪の色、氷家の子だろ?有名だから、大人ならたぶん知ってるよ」  次の瞬間、少年の手を振り払った瑠璃は勢いよく後じさると、袖で頭を覆うようにしてしゃがみこんでしまった。 呆気に取られたのは少年の方である。  「えっ…?な、何?どうしたの?」  瑠璃は黙ってしゃがんだまま動かない。袖の向こうで、少年の声が再び心配げな響きを帯びた。  「頭、痛い?大丈夫?」  袖の下から、消え入りそうな呟きが聞こえる。捨てられて行く当てのない仔猫の鳴き声のような、か細い呟きだっ た。  「…ない?」  「えっ?」  少年が瞬きして、再び聞き返すと今度ははっきりとした答えがあった。  「…瑠璃の髪、変じゃない…?」  少年は瑠璃の言葉の意味が分からずに、さらに瞬きした。  「だって…みんな」  黒い髪の中に一人だけ混じっていた青い髪。母が言った、「都の人たちとは違う」ということ。  「みんな、青いのが変だって…」  ぽつんと一滴、雫が地面に落ちた。  このひとはいやなひとじゃない。それは瑠璃にも分かったが、自分の髪の色が変だから、真っ先に髪の色について 言ったのだ、とも思った。だが。  「…別に変じゃないよ。かっこいいじゃないか、青いの」  「…え?」    「行こう」  予想外の返事に、思わず袖から顔をのぞかせると、少年はにこにこと笑っていた。そのまま何事もなかったかのよ うに、瑠璃の手を取って歩き出す。瑠璃は困惑したままそれに従った。  歩き出して間もなく、瑠璃は少年の歩き方が自分とは違うことに気がついた。左足は瑠璃と同じように踏み出して いるが、右足は引きずっている。足首には引き攣れたような大きな傷痕があったが、瑠璃は知る由もない。  「足、どうしたの?何かついてるけど、取ってあげようか?」  「え?ああ、違うよ」  無邪気な質問に、少年も特に気を悪くした様子もなく答えた。  「これはね――鬼にやられたんだ」  少年は語った。昔、都に朱点童子という悪い鬼がやってきて、人がたくさんたくさん死んだこと。  少年の母親は、その時に少年を鬼から助けようとして鬼に食べられてしまったこと。  少年はその時、足の大事な部分――腱のことだ――をやられてしまったから、足が不自由になってしまったこと。 そう語った時、握られた手にやや力がこもった。  「ほんとはさ。俺…剣士になりたかったんだよ。たくさん修行して強い剣士になって、母さんを食べちゃった悪い 鬼なんか退治してやりたかったんだ――だけど」  少年の歩みが止まったので瑠璃が見上げると、少年は痛いのを我慢しているような顔をして、目を伏せていた。  「俺…だめなんだ。足がこんなだから。鬼相手に戦うんなら走ったり跳んだりできなきゃいけないんだ、って。俺 にはそれがもうできないから――」  瑠璃にも漸く、自分が聞いてはいけなかったことを聞いてしまったことが分かった。自分は今当たり前のように歩 いているけれど、目の前の少年はどんなにそう望んでもできないのだ。  とってあげようか、なんて言わなきゃよかった、と瑠璃も少年につられるようにして目を伏せる。とりたくても、 とれるようなものではないのだから。  少年はといえば、手を繋いでいる女の子が一緒になってしょんぼりしてしまったので、努めて元気よく声を張り上 げることにした。  「俺、討伐隊が出陣する時にいつも都の人に混じって見送ってるんだ。恥ずかしいから口には出せないけど…頑張 って、って心の中で思ってる」    「…瑠璃のお家のひとも、見たの?」  「うん、去年見たよ。凄くかっこよかった。なんて言うか、見えない力みたいなのが体中からぼわーって吹き出て る感じでさ。強そうだなって思ったよ。その年、一番鬼の根城の深いとこに行ったのは君の家の人たちだったって聞 いたしさ。俺の目に狂いはなかったんだ」  少年は、まるで自分のことのように、鼻をぴくつかせながら誇らしげに話す。それを聞いている瑠璃は少しくすぐ ったいような、不思議な気分になった。  「おかしくないの?かっこいいの?」  だって、他の人たちはみんな、自分の家がよくないものみたいなことを言っていた気がするのに。だが少年の口調 は、相変わらず心底感心したような風だった。  「うん。だって、おっかない鬼たちをやっつけちゃうんだろ?すっげえよなぁ」  「うん…おうちの人たち、今鬼退治に行ってるの…瑠璃はね、まだちっちゃいから駄目なんだって。でも、いっぱ いお稽古したら、そのうち行くことになるんだって」  「…そっか」  少年はうらやましそうなため息をついて、澄みきった空を見上げる。秋のうろこ雲が、水面に浮かんだ花びらのよ うに、まばらに浮かんでいる。しばらく二人は、手をつないだまま無言でてくてくと京の通を歩いた。  「でもさあ」  沈黙を破ったのは、やはり少年の方だった。合点がいかない、という風に小首をかしげる。  「どうして君の家は、選考試合に出ないの?」  「せんこうじあい、って?」  「朱点童子討伐隊を決めるための御前試合だよ。君の家が討伐隊だって話、聞いたことないもん。俺が去年見かけ たのもたまたまなんだ。普通は、筆頭討伐隊なんていえばみんなが見送るもんだよ」  「うん…」  瑠璃もよく分からなかったが、母が教えてくれたことと何となくつじつまが合う気がした。  「おうちの人たちはあんまりおそとに出ないの。出ない方がいいのよ、って母様は仰るの」  「ふうん。じゃあ、御前試合には出ないで討伐にだけ行くのかな。俺なんかが御前試合をじかに見ることなんかで きるわけないけど…噂くらいは届くからさ。君たちがどんな戦い方して、どれくらい強いのか…ちょっと知りたかっ たな」  少年は一旦口をつぐむと、寂しそうな笑みを浮かべて瑠璃を見つめた。  「いいな。羨ましいよ。君達は、鬼退治に行けるんだから…」  瑠璃は、自分より頭一つぶん以上背の高い少年を見上げた。その横顔は、逆光に阻まれてよく見えない。  だが――少年が本心からそう言っていることだけはわかった。  「瑠璃さまーっ」  「瑠璃!」  その時、向こうの方から聞き覚えのある声が聞こえた。イツ花と母が、息せき切って走っているのが見える。  「あ、お迎えがきたみたいだ。じゃ、俺はここで帰るよ」  少年は、瑠璃の手をぱっと離すと、踵を返して足早に立ち去ろうとする。その袖を、小さな手が懸命に掴んだ。び っくりしたように自分を見つめ返す少年に、瑠璃は決然とした顔で小指を差し出す。  「ゆびきりげんまん」  「へ?」  瑠璃が言っていることの意味が分からずに、少年はきょとんとその指を見返した。  「瑠璃が…悪い鬼なんかみんなやっつけてあげる。約束するから」  少年を見上げる幼女の瞳は、よく晴れた秋の空の一番深い色をしていた。水面に映るその色を掬い取って閉じ込め たような、澄み切ってきらきらと輝く瞳だった。  小さい子だからと気づかなかったが、よくよく見れば、その切れ長の目元ははっとするほどに美しい。白磁の頬や 耳たぶにほんのり浮かび上がった桃の花の色が、目の前の少女の無垢な美しさをさらに瑞々しく際立たせているよう だった。  「えー?そんなこと言っても」  いきなり照れくさくなってしまって、少年は頭をかきながらはぐらかした。  「君が鬼退治に行けるまで…あと何年かかると思ってんだよ?」  氷家の血に穿たれた呪いはふたつ。種の根絶と、短命。  例外なく、二年に満たぬうちに死を迎える。    その言葉の持つ意味が――どれほど残酷なものであるか。言った方も言われた方も、勿論理解していない。  瑠璃は、少年の心情などお構いなしに、無言でずいっと小指をさらに差し出した。少年もついに根負けし、自分よ りも小さな小指に小指をからめる。  「じゃあ、ゆびきりげんまん。絶対、約束だよ」  指が離れた後。少年は照れくさいのか、振り返ることなく。  名前を告げることもなく、ただ背を向けて走り去った。  瑠璃は、少年の姿が見えなくなるまで見送りつづけた。  「――この莫迦!」  怒り狂った当主の拳固が、見事な音とともに瑠璃の頭に落っこちた。  「と、当主様っ!どうか落ち着いて…!」  イツ花がおろおろと執り成したが、瑠璃は湧き上がってくる涙をいっぱいに溜めながら、ぶたれた頭をおさえてご めんなさい、と小さな声で呟いた。  少年に出会う前はとても怖い思いをしたから、母が行ってはいけない、と言った意味が今ならよく分かった。言い つけを守れなかったのだから、ぶたれても仕方ない、と素直に反省した。だが、烈火のごとく怒っていた母の声音が、 次の瞬間がらりと変わった。  「…まったく」  そう言って、小さな娘の体が本当に現実のものか、確かめるかのようにしっかりと抱きしめる。母の胸は温かかっ たが、小刻みに震えてもいた。  「一体どれだけ心配したと思ってるのよ。無事でよかった…何か酷いこと、されたり言われたりしてないわね?大 丈夫ね?」  鬼に魅入られた異形の一族の子供が、都で一人うろついていたら。たちの悪い連中にからまれたり、かどわかされ たりしても何も不思議ではなかった。最悪、亡骸となって見つかることさえ覚悟していた。  火美子の怒りようは、安心の裏返しでもあったのだ。だが、母のそんな心労を知る由もなく、瑠璃はにこにこと無 邪気に笑いかけた。  「うん、ちょっと怖かったけど…親切にもしてもらったよ。大丈夫」  見れば、背中の方に土が少しついているものの、着ているものが破れたり、傷や痣があったりといったことも特に なさそうだ。本当に大丈夫だったのだろう、とあらためて確認すると、火美子もようやく肩の力を抜いて仔猫の産毛 のように柔らかな娘の髪をそっと撫でた。当主の怒りが収まったことを確認したイツ花も、その背後でほっと安堵の 息をつく。  「とにかくほんとに何事もなくてよかったわ。じゃあ帰りましょう」  「うん…あのね母様」  とにかく早く家に連れて帰ろう、と火美子は立ち上がったが、自分を呼びかけた娘がいつになく真摯な顔をしてい るので、何事かと目を瞬かせた。  「瑠璃はいっぱい鬼をやっつけなきゃいけないから、おうちに帰ったらいっぱいお稽古してね」  「そりゃあお稽古はするけど…どうしたの?急に」  叱られてしょんぼりしている、だとか、反省している、だとかいう顔ではなかった。何かを決意したような顔。腰 に手を当てて、訝しげに自分を見つめる母に向かって、瑠璃はつくりもののように小さな小指を差し出した。  「あのね。約束したんだ」  ――ゆびきりげんまん。  少し骨ばった少年の小指の感触がまだあった。  「瑠璃が悪い鬼を退治してあげる、って」    そうして翌年――木々の葉が色づいて散る季節になった頃。  澄んだ陽光の下に、この年の朱点童子筆頭討伐隊が姿を現した。都の人々は、道の端に寄ってその様を見守る。  先頭に立つ当主がまとう装束の色は、青と黒。  華奢な手が握るのは、研ぎ澄まされた輝きを放つ薙刀。  誇らしげに結い上げたしなやかな髪は、淡い蒼。それはまるで――白雪の肌の上に落ちる影のよう。  扇のように豊かな睫毛を宿す切れ長の瞳は、深い深い蒼穹の色。  明らかに人とは違う色、蒼と白と黒に彩られた彼女を、人々は感嘆のため息とともに見送った。  「わあ…あれがその氷家の当主だって?…氷家っていったら鬼憑きだなんだって聞いたけど…綺麗なもんだなあ」  「…あれは本当に人なのかね。天女様か何かじゃあないのかね」  「選考試合の話、聞いたか?」  この年の夏の選考試合。武門の家柄ではあるから、声は毎年かかってはいたものの、けして姿を見せることがなか った氷家が名乗りを上げた。  一族を率いていたのは、怜悧な美貌を持つ女人の当主。  所作そのものがひとつの舞を舞っているかのように滑らかで、澱みなく。しかし、ひとたび薙刀を振るえば、筋骨 隆々たる武人達を瞬く間にねじ伏せた。  「見たやつが言うことには、なんだか夢の中の出来事みたいだったそうだ。綺麗な娘っこ相手に、腕自慢の男たち がまるで歯が立たなかったとか…そう、武神が人の形をとったらこんな感じじゃないか――そんなことを言っていた」  「へええ。そりゃあ見てみたかったな」  さやさやと続く人々の声を背に、彼女はゆっくりと歩いていく。    ふと。  道端で、こちらに向かって熱い視線を送っている者がいるのに気が付いた。  あの時よりも、少し背が伸びたろうか。  しかし、すごく大きかったように見えたその姿は、意外なほど小さかった。  ――羨ましいよ。君達は、鬼退治に行けるんだから。  しかし、恐らく彼は自分に気づいていないだろう。  あれから季節が一巡りし、元服して。子までもうけた自分が、あの時道端で泣いていた少女だとは思うまい。  ――私達は、都の人達とは違うの。  朱点童子と刃を交えることなく逝った母。そして、刹那の刻を駆けてきた自分。  だが、それを嘆こうとも、厭おうとも思わない。  誇るべきだと教えてくれたのは、あの少年だった。だから、戦う。誰に言われたでもなく、押し付けられたでもな く。  志半ばにして逝った母のため、呪いを穿たれた一族のため、そして――あの少年のために。  胸の前で軽く拳を握り、すんなりした小指だけを伸ばす。珊瑚色の唇から、小さなつぶやきが漏れた。  「――ゆびきりげんまん…」  言葉は少年に届いたのか、眼前の当主が何かを自分にむかってつぶやいたのが不思議だったのか。  少年は、きょとんとした顔のままこちらを見ていた。  「母様?何か、仰いましたか」  すぐ背後を歩いていた娘が、訝しげに声をかけてくる。  自分ゆずりの髪の色をした娘に微笑みかけると、彼女はゆっくりとかぶりを振った。  「…いいえ。何でもないわ」  でも――    手にした薙刀を構えなおし、彼女は少年の横を通り過ぎた。  ――約束は、必ず守るわ。  過ぎし日の、淡い想い出を胸に閉まって。  ――了―― <あとがき>  このお話の前身である『落ち葉の散る頃に』は、元々氷介がやりはじめた俺屍を自分でもやりたくな った頃、イメージで作ったお話でした。なので、当主名が『日下部 紫苑』であること、ヒロインの名 前が瑠璃で青い髪であること以外特に設定がありませんでした。実在する一族ではないので、顔グラが なかったわけです。黄川人の尻ダンス(待てその言い方)もまだ見ていなかったので、大江山で決着を つけるような位置づけでした。  このお話を、2003年の俺屍オンリーで漫画としておこす際、さてビジュアルはどうしたもんか…と考 えていたんですが、丁度よく氷介データの氷家で朱点童子討伐隊長・青い髪の瑠璃というドンピシャな 女の子がいたため、ビジュアルだけ拝借して『遠き約束』の話が出来上がりました。終わってみれば、 『遠き約束』の方が『落ち葉の散る頃に』よりも出来がいいこと(そりゃあ時期に差があるからな…)、 『遠き約束』のビジュアルでの瑠璃が何度か俺屍部屋にお目見えしていることもあり、いちいち説明す るのがめんどくさくなってややこしいから統一しよう、とばかりに『遠き約束』を再度小説に書き換え たのがコレです。経緯がほんとややこしいですねすいません(爆)  で、同人誌の方ではそのまま「大江山討伐」として描いていますが、やはり綺麗に終わらせてあげた かったので小説に再度起こす際にはそのへんはぼかしました。落ち葉の散る頃に出陣してますが、討伐 先が地獄か大江山かを明記しないことにしました。この方がしっくりくるかなあ。  作中に出てくる「指きりげんまん」は、江戸時代に遊女が客に心変わりをしないことを誓う証として 小指を切断して送ったことに由来する(げんまんは拳骨で1万回)ことみたいです。一応平安時代っぽい ことにしている(※すげえアバウト)この世界にはそぐわないかなと思ったのですが、他に「誓いを立 てる」という象徴的なリアクションが見つからなかったので、雰囲気重視で指きりげんまんにしました。 よく考えたら『鎖』で輝夜が飛炎にゆびきりげんまん、って言ってるシーンもあったなあ…(笑)。
 
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