ずっと知っていた想い


 俺屍十周年祭『親馬鹿全員集合!』に投稿した、御鏡家30代目当主の湧弥(ゆうや/男子20番/水

髪風目土肌/踊り屋)と美晴(みはる/女子8番/火髪水目水肌/薙刀士)です。美晴は湧弥よりも

10ヶ月年下ですが、湧弥存命時に双子姉の美苑(みその/女子29番/火髪水目水肌/槍使い)ととも

に女子ランダム顔第1号&2号として生まれてきて、これは絶対に運命…!と親バカボルテージを超引

き上げてくれた子たちです。プレイ上の事実とも相まって、拙宅でもかなり複雑な背景&長い話にな

りましたが、何しろ親に政治的な謀略云々だとか、官位だの当時の宮中事情だのに関する知識が恐ろ

しくないため(滅)、詳細は省いた語りとしてここでまとめておきたいと思います。




 湧弥が生きていた頃は、髪狩〜地獄の蓋が開いた時期で戦いも過酷になってきていましたが、数代

前から内裏の権勢争いに巻き込まれていて、その意味でも不穏な時期でした。当主である湧弥は鬼以

外の存在、ある意味鬼よりもたちが悪い都の貴族連中からも一族を守らなければなりませんでした。

 湧弥は根回しをしたり邪魔な存在は秘密裏に消したり、必要ならば女性と関係を持ったりと、持ち

前の冷静沈着さと明晰な頭脳で、一族を守るために皆の見えないところで立ち回っていました。



 湧弥は、御鏡家の中でも数少ない陰陽師として活動していた当主でもありました。彼の友人であっ

た阿部晴明は、当時御鏡にとって最も厄介な存在をパトロン(と言っていいのかどうか)とする人で

したが、パトロンはパトロンであって自分の交友関係は無関係、バレなきゃいいだろと思っていたし、

湧弥も彼にしては珍しく一族以外の存在を利害ぬきにして付き合っていました。双方頭が良すぎるの

で、第三者が彼らの会話を聞いてみてもなんのことやらサッパリ分からないようなことを、楽しそう

に朝まで語っているような間柄でした。

 都を鬼から守る結界の保持に忙しかった晴明が選考会に引っ張り出されてきたのは、パトロンが御

鏡家の名声を危ぶんだからでした。俺のお抱えの晴明の方が凄いぞ、というやつです。しかし、美苑

と美晴の初陣を兼ねて出場した夏の選考会の決勝戦では、晴明は湧弥が率いる御鏡家に破れ、その思

惑は見事に外れてしまいました。当然パトロンは地団太を踏んで悔しがりましたが、晴明は全力で

挑んで負けたのだから仕方ないことです、と涼しい顔、むしろ友人と真剣勝負できて楽しかった、ぐ

らいに思っていました。

 当時、都の結界は晴明が奔走していても完全なものではなく、夜になればそれを潜り抜けてきたは

ぐれ鬼が徘徊するようなことも珍しくなかったため、忙しいところをくだらない理由で引っ張り出さ

れた晴明は、むしろ悔しがるパトロンを見てざまみろとも思っていました(え)



 この決勝戦の時、湧弥は戦い慣れしていない美苑と美晴を守るため、的確に指示を出しつつも装備

の薄い舞手の身ながら二人の前に立って戦いました。美晴はその湧弥の姿をきっかけに、彼に対して

恋心を抱くようになりました。しかし勿論、美晴も湧弥が一族を守るために『外で何をしているか』

については知りませんでした。

 湧弥が生きていた頃の一族は、湧弥が自分たちを守るために『外』相手に立ち回っている、とは知

っていましたが、湧弥自身が「俺が全て引き受けるからお前達は手を出すな」という無言の意思表示

をしていたことと、「へたに何か手伝おうとしても、当主様の足手まといになるだけだ」と思わせる

ほど湧弥が絶対的なカリスマを発揮していたことがあって、皆何もできないもどかしさを抱えながら、

当主が討伐とは別のところで戦っているところを見守っていました。

 彼の前までの当主は、一族が不利な立場に追い込まれないように『現状維持』のために立ち回って

いましたが、一転して攻勢に――邪魔な存在を懐柔するだけでなく『消す』という手段、けして綺麗

ごとでは済まされない手段に出たのがこの湧弥だったのです。



 湧弥が人を殺したり好きでもなんでもない女性と関係を持ったりするのは、ひとえに一族を守るた

めであって、そのことに対して罪悪感は全く抱いていませんでした。しかし、美晴の恋心にほどなく

気づいた湧弥は、自分のそういう信念に揺らぎが生じているのを感じていました。

 彼女の恋心に気づいても暫くは、手のかかる妹のように接していたのですが、次第に彼女の存在は

湧弥にとっても『憎からず思っている』から『特別な異性』になりつつありました。美晴も詳細こそ

知りませんでしたが、他の一族と同様に湧弥が『外』相手に立ち回っていることは分かっていたので、

湧弥が深夜に家に戻って来るまでずっと待っていたり、一途にひたむきに湧弥の身を案じていました。

湧弥はいつしか、美晴にの傍にいる時今まで得られなかった安らぎを感じるようになります。

 ただし、湧弥は美晴の気持ちには応じられない、とも思っていました。先に述べたように、湧弥は

人を殺すことも、好きでもない女と関係を持つことも、今までなんの躊躇いもなく何度となく行って

きていました。それらの行いはすべて一族を守るため、先にも述べたとおり罪悪感や恥じる気持ちは

毛頭ありませんでしたが、美晴の自分への想いはあまりにも純粋で真っ直ぐなものでした。

 本当の自分を知って美晴が幻滅したり傷つくぐらいなら、片思いの相手のままで死に別れたほうが

よいだろう――湧弥は、自分の命が終わるまで美晴の気持ちに気づかないふりをすると決めました。

引っ込み思案で姉の美苑に依存しているところがある気性の美晴が、この先自分に対して直接気持ち

を伝えようとすることは多分ないだろう。だからこのまま美晴の気持ちから目を逸らしておこう、そ

う思っていました。

 美晴の姉の美苑は、「当主様は本当は美晴の気持ちを知ってるんじゃないか」と疑っていましたが、

それを確かめることは妹の気持ちを相手に伝えるということになります。もし違っていたら美晴が傷

ついてしまうことを恐れ、やきもきするだけで確かめようとはしませんでした。



 湧弥は御鏡に敵対する勢力を着実にそぎ落としていったものの、自身にそう長い時間が残されてい

ないことも分かっていたため、自分の後継に相応しい資質を持っていた息子・正澄への指導と、一族

への援護を晴明に予め託してありました。

 御鏡家にとって最も厄介な相手・晴明のパトロンは、社会的地位の高い人物であり、湧弥といえど

も手を出しかねていました。それでも、時間をかければ彼ならばどうとでもできたはずですが、短命

の呪いがそれを許してはくれませんでした。自分亡き後は、そのパトロンの動きに最も注意しなけれ

ばならないだろう。色々と不穏な動きがありそうでもあったため、それを乗りこえられる胆力を持つ

者と評価していた美苑を次期当主にすることまで決めていました。

 ただ、真っ直ぐな気性の美苑に謀略やら駆け引きやらといった類のことは始めから期待していなか

ったので、自分亡き後実際に一族の情勢が動くのは息子の代だろうな、とも思っていました。自分の

後継者として育てた正澄は、幼い頃から優れた資質を発揮していて、湧弥も息子のことは高く評価し

ていました。また、正澄の方も「父上のようになりたい」とひた向きに頑張る子でした。

 自分が生きている間はできる限り土台固めに尽力するけれども、息子が成長して当主を引き継ぐま

で美苑には踏ん張ってもらわなければならないだろうな――この時点での湧弥の認識はこうでした。



 そして湧弥の寿命月、塞ぎこんでいた美晴に当主様にいいとこ見せてあげたらいいじゃない、と姉

の美苑が「美晴を大将にして選考会に」と湧弥に提案。美晴は塞ぎこみながらも、「当主様のために

頑張らなきゃ」と大将を引き受けて、選考会へと出かけていきました。

 しかし、その選考会では湧弥にも晴明にも気づかれることなく密かにことが進められていました。

御鏡家と晴明が決勝戦で当たるような組み分けだけが意図的に行われ、もしも御鏡家が決勝に勝ち進

むことなく敗北すればそれでよし、決勝まで勝ち進んできたらタイミングを見計らって御鏡の大将を

暗殺する、という手はずが整えられていたのです。

 かくして決勝戦、御鏡家と阿部晴明社中の試合で、御鏡家の大将――美晴が昏倒するという事件が

起こってしまったのでした。阿部晴明社中と切り結んだ瞬間、物陰から猛毒を固めた小さな針を打ち

込まれた美晴は均衡を崩し、その刃をまともに受けてしまったのです。

 晴明はすぐにそのことに気がつき、回復術よりもまず最初に仙酔酒を使って解毒をこころみました

が、美晴が意識を取り戻すかどうかは五分五分といったところだ、と狼狽する美苑に告げ、自分も知

らされていなかったことで気づかず済まなかった、と謝りました。御鏡家は表向き決勝戦で晴明に敗

れたということになり、パトロンは大満足で選考会場をあとにしたのです。

 これは実際にプレイ上で起こったことがもとになってます。湧弥の寿命月に美晴を大将にして選考

会に出場したら、決勝戦で『大将を集中攻撃作戦』されて敗退し、健康度が激減して帰還した美晴を

待っていたのが湧弥の死、というプレイヤーの妄想をはてしなくかきたてる(え)出来事でした。



 家へと運ばれた美晴は、とりあえず一命はとりとめましたが一向に目覚める気配はなく、ただ昏々

と眠り続けているだけでした。それを見守る美苑は、妹の想い人の死期が近づいていることへの焦り

も加わって、「自分があんなことを言わなければよかった」と泣き続けていました。

 家で一族の帰りを待っていた湧弥は、自分の読みがまだ甘かったことを悔やみました。美晴に用い

られた毒はかなり特殊なものであったため、その道にも精通している彼が出所を割り出すのは簡単な

ことで、美晴を暗殺しようとした相手、とは勿論晴明のパトロンでした。

 意識なく横たわる美晴の姿を見て、湧弥は美晴が自分にとって本当に心から大切な存在だったとい

うことをはっきりと認識し、美苑に当主を譲って「御鏡の三十代目は死んで代替わりした」と内裏の

方に報告させました。そして都の人間には極秘にしていた舞手の力(選考会では他の踊り屋たちと同

じ方法、『扇を使って発生させる衝撃波での打撃』という方法で皆戦っていて、舞手の力は討伐先で

のみ使われてきていました)を人に対して使うことを決めました。



 御鏡の舞手の力は、暁良と月刃丸が質問回答で触れていたり、俺屍設定で触れていたりしますが、

もともと人外の存在と戦うために特化した力、舞踏の動きから真空刃を生み出して戦うというもので

した。扇はあくまでもその力を増幅させるためのもので、人相手ならば扇を使うまでもなく手の動き

だけで殺傷できるほどの恐ろしい威力がありました。そのため、過去に朝廷からやはり嫌疑をかけら

れて一族滅亡の危機に陥ったことがあり、生き残りが御鏡の血を守るために「人相手に舞手の力を使

うと使った者は死ぬ」という制約、第三の呪いともいえるべきものを課してその力の存在は極秘、と

しました。記録を紐解いた湧弥は、こんな記述を目にしました。


 ――舞手の力を人相手に使ってはならない。使った者は己の力をその身に受けることになるだろう。


 しかしそこには、舞手の力を使ったものが即座に死ぬ、とは書いていませんでした。その身を自分

が行使した力によってじわじわと切り刻まれて死に至る、手足が落ち臓腑が腹から落ちるようなこと

になるだろう、と。血が足りなくなって死に至るか、その前に苦痛のために正気を保てなくなるか――

だから軽々しく人を殺めるようなまねをしてはならない。


 ――ただし。

 ――それほどの苦しみと引き換えてでも、殺めたいものがいるようならば。そこまでは禁じること

をしない。


 当時の一族の生き残りも、一族の血を守るためにそういう制約を課したものの、自分が最後の生き

残りでなければ同じことをしただろう、というような意図が見えるような内容でした。

 湧弥が『自分は死んだ』としたのは自分を最初からこの世に存在しないものとするため、舞手の力

を行使することを決断したのは、美晴を命の危険にさらした――ひいては、後々確実に御鏡にとって

害となるであろう相手を『どう見ても人の手で殺めたのではない、鬼が現れた』と思わせる方法で消

すためでした。

 相手は貴族のお偉方、邸宅には術封じの結界が張られているので、最初から術は使えないことも好

都合でした。術を用いず、手も触れずに人間の五体を切り刻む舞手の力は、それこそ傍目には『鬼の

所業』としか見えないからです。舞手の技は舞踏によって結ばれるもの、術とは根本的に理が異なる

ものなので、術封じの結界は効かないのです。


 その後、湧弥は式神を晴明のもとに送りました。湧弥は余命わずかの自分が『鬼』に扮してパトロ

ンを消すという意図を語り、晴明に協力して欲しいと頼みました。晴明の方も、友人の大切な人を卑

怯な手段で害したこと、そういった手段に出たということは自分の能力を信用していなかったのだ、

とプライドを傷つけられたことに本気で腹を立てていたので、パトロンなんか見つけりゃいいし、見

つからなかったらどこぞの山の中にでも隠棲すると言って、友人の頼みを快諾しました。

 何をすればよいかと尋ねられた湧弥は、ただ都から少しの間離れていてほしい、と答えました。

『鬼』が現れたら当然都一と謳われる陰陽師・阿部晴明が呼び出されるに違いない。その場でお前と

顔を合わせるようなことになると面倒なことになるから、何か理由をつけて都から出ていてくれ――

と。

 それに対して晴明は、都から出て行ったふりをする、と答えました。自分の姿をした式神に都から

出て行かせ、自身は邸宅に残ってお前の援護をする、と。パトロンの邸宅には、呪いなどから守るた

めに晴明が自ら仕掛けた結界が張られていましたが、それも解いておこう、とも言いました。

 出陣したお前には式神の蝶を同行させ、万一失敗したらその蝶が跡形もなくお前の体を焼き払うよ

うにしよう。そう言った後、晴明はお前らしくもない、と笑いました。


 ――その御先祖様とやらの書き記したものがどこまで信用できる?過去に舞手の禁を破った例がな

い以上、失敗することは十分考えておかないといけない。失敗すれば体が残るぞ。死んだことになっ

ているとはいえ…『御鏡の当主だった男』の生身の体が。


 実際、湧弥にしては珍しく綿密さのない乱暴な計画ではありましたが、やはり彼といえど大切な存

在を命の危険にさらされて、冷静になりきれなかった部分があったのかもしれません。一族は彼から

計画の概要を伝えられて絶句しましたが、実際に美晴が命を狙われ、未だ昏倒したまま目覚めないと

いう事実の重さ、そして湧弥が今まで『外』相手にどう振舞ってきたかも皆ここで知ることになり、

反対することもできませんでした。湧弥が『出陣』するのは、満月の夜に決まりました。

 湧弥は『出陣』に際して雅楽『蘭陵王』の緋色の装束を身に纏い、顔と髪を隠すことにしました。

顔や最も特徴的な髪色を見られないようにするためでもありましたが、舞手の力を受けて自分の体が

損なっていくところを見せないためでもありました。

 湧弥は、あたかもその辺までちょっと出かけてくる、というような調子で一族達に別れを告げ、最

後に美晴のもとを訪れました。

 美苑は、眠り続ける妹から片時も離れずに見守っていましたが、舞装束姿の湧弥が現れたのを見て

伝えるなら今しかない、と判断しました。

 本当は妹の口から直接伝えさせてあげたかった、でもそれが叶わないならせめて妹の気持ちを知っ

ていてほしい。

 そのことで、当主様が自分から凄惨な死を選びに行くようなことを思いとどまってくれたら――と

いう願いもこもっていました。


 ――美晴は当主様のことがずっと好きで、当主様に最期にいい報告をしたくてはりきってたんだ。



 ――知ってたよ。


 意を決した美苑の言葉に対する湧弥の返答は簡潔なもので、美苑は驚いて湧弥を見返しました。

 
 ――美晴の気持ちがあまりにも純粋だったから、一族を守るためにせよ手を人の血で汚しすぎた俺

は…答えるべきではないと思っていた。


 そう言って、湧弥は優しい仕草で眠り続ける美晴の額に手を添えました。


 ――済まなかったな、俺の読みがまだ甘かった。結果として美晴を危険にさらすことになってしま

った…だがそれも今夜で終わる。御鏡家の当主は今三十一代目のお前だ。これから起こることは御鏡

家には一切無関係、すべては『鬼』がしたこと…いいな。


 他人事のような湧弥の言葉に、美苑は冷静でいることができませんでした。


 ――行かないで。美晴が目覚めた時、当主様がいなかったら…あたし、この子に何て言ってあげた

らいい?当主様は『鬼』になって死んじゃった、なんて…言えないよ!


 湧弥は、ぼろぼろと涙を零して泣きじゃくる美苑の頭を撫で、優しく微笑みました。


 ――美晴が目覚めた時、お前がいてやってくれ。お帰り、と言って笑いかけてやってほしい。もし、

俺の後をのこのこついてくるようであれば、お前のもとに送り返してやるから。


 ――嫌だ、当主様がいなかったら美晴は幸せになんてなれないよ…!行かないで…!


 止めることはできない、ということは美苑にも分かってはいましたが、行かないで、といわずには

いられませんでした。湧弥は、もう一度微笑んで美苑の涙を指で拭ってやると、眠り続ける美晴の額

に軽く口付けました。


 ――さよならだ、美晴。


 湧弥はそのまま出て行き、美苑は声もなくその緋色の後姿を見送りました。



 月光に照らされた中、舞の仮面を被った湧弥は真っ直ぐにパトロンの邸宅に向かいました。晴明か

ら邸宅の構造は予め聞いており、晴明の式神を通じて邸宅内のどこにいるかも分かっていました。

 御鏡の舞手が古くに暗殺の類をしていた、というのは、舞手の技が防げないということもありまし

たが、その身ごなしが暗殺に適していたからということもありました。足音がなく地面を滑るような

舞手の動きは警備の兵をするりとかいくぐり、湧弥は音もなくターゲットのもとへ舞い降りました。

 床の中でまどろんでいた相手は、不意に現れた緋色の影に声もなく驚きました。


 ――こんばんは。今宵はいい月だ。


 仮面の下からもれ出る声に聞き覚えがあり、相手は瞠目しました。


 ――お前は…!死んだのではないのか?!


 ――この世に心残りがあるものが、鬼に変じて心残りのもとへあらわれる…別段、珍しいことでも

ないでしょう。

 ――…あなたは、やはり多少無理をしてでも消しておくべきだった。


 次の瞬間、相手の五体はばらばらに切り刻まれて床に散らばりました。異変を察して部屋に警備の

兵がやってきた時、目にしたのは床に散らばった人の部品、緋色の装束をさらに赤く染めた『鬼』の

姿でした。ただし、その緋色の装束を染めていたのはけして、相手の血だけではありませんでした。


 ――成る程…こういうことか。御先祖様とやらも…やってくれる。


 ターゲットを殺害した時、湧弥の体は『舞手の制約』のためにばらばらになったわけではありませ

んでした。しかし、相手を切り刻んだ箇所がそのまま、細い刃で切り裂かれたかのように口を開く。

まだ体は動くようでしたが、勿論平常心でいられるような痛みではありませんでした。

 これなら確かに、舞手の力を面白半分で人相手に使うようなことは起こらない。でも、『舞手の力

を人相手に使えば即座に死ぬ』ようでは、もし本当に一族が危険な状況に陥った時――かつて御鏡の

一族が滅亡の危機に瀕した時のようなことが起こった場合に、本来なら一族を守れるはずの『牙』を

完全に抜いてしまうことになる。


 ――そのための『徐々に切り刻まれて死に至る』という制約、か。


 湧弥は逃げる兵まで追うことはしませんでしたが、向かってくる兵は体が動く限り殺傷しました。

全身緋色に染まった『鬼』が手も触れずに人体をばらばらに切り刻む様子は正に人ならざるものの

所業であり、それを目撃した兵たちは恐慌状態に陥りました。

 人を一人切り刻むたびに湧弥の体はそれだけ損なわれていき、自分の体の限界を悟った時最期の

力を振り絞って邸宅の外へと駆け出ると、晴明の力を借りることなく自分の体を炎で焼き払いまし

た。


 ――…美晴。


 炎が消えたとき、その場にはただ彼の体を焼き尽くした灰だけが残され、『鬼』はこの世から消

えてなくなりました。



 御鏡の家では、皆無言で一睡もせず、外の様子が次第に慌しくなっていくのを聞いていました。今

宵起こることはすべて『鬼』がしたこと、御鏡の家は無関係――湧弥の最期の命令を守り、門を開け

ることもなくただ静かに、塀の向こうで起きているであろうことが終息するのを待ちました。

 一夜明けて、都の中は『全身血塗れの鬼』の話題で持ちきりになりました。『外出中』だった晴明

はパトロンを失うことになりましたが、別の貴族が後ろ盾になって、この後も変わらず都の結界保持

に奔走することになります。



 美晴は湧弥が出て行った二日後に目覚めました。最初自分の置かれた状況が理解できず、漸く記憶

の混乱が収まってどうやら自分が選考会でやられたらしいことを思い出すと、次に彼女が口にした言

葉は「当主様は?」でした。

 勿論皆「意識を失っている間に死んだ」などとは言えず、かける言葉が出てこなかったのですが、

美苑の指に湧弥が持っていたはずの指輪を見つけると、美晴は狂乱状態に陥ってしまいました。皆

で押さえつけ、気付の薬を飲ませてなんとか落ち着きましたが、美苑は悔やまずにはいられません

でした。


 ――当主様がいなかったら美晴は幸せになんかなれない、当主を引き継ぐからにはあたしが踏ん

張ればよかったんじゃないのか。


 そうしたら湧弥があんな風に死ぬこともなく、美晴が見送ってあげることもできたんじゃないの

――そう思わずにはいられなかったのです。

 そんな風に皆一様に沈み込んでいた時、天の方へと出向いていたイツ花が戻ってきて、思いがけ

ない報がもたらされました。


 「湧弥に氏神の資格あり」――と。


 本人も周囲も、経緯が経緯だけに氏神昇天は絶対にないと諦めていたのですが、太照天昼子は凄惨

な死を覚悟の上で大切なものを守ろうとした彼の意志の強さに好感を持ちました。また、湧弥の持つ

優れた知略は反昼子派粛清に役に立つとも考え、彼の魂を氏神の資格あり、と認めたのです。

 湧弥は髪狩を戦い抜いた当主だったので、天界の動向は最初から疑問視してもいたため、懐にいた

方が何かと便利だ、と判断して昼子の側近になる話を了承しました。御鏡家での昼子も、日下部家と

同様に一族を悪いようにするつもりはありませんでしたが、万一昼子の意図が一族を消すようなもの

だったら、湧弥は顔色一つ変えずに牙を剥いていたと思います。

 美苑は飛び上がる勢いで喜び、思いがけない吉報にオロオロとうろたえる美晴を氏神となった湧弥

――『御鏡仙人』との交神に送り出しました。美晴はこの時、少女だった頃からの初恋の人と結ばれ、

ふたりの交神は一族全員が心から祝福しました。

 この二人の間に生まれたのが後に33代目当主となる麗佳、そして実家から角のある容貌を嫌がられ

て行く宛のなかった光透美に「御鏡家へ養子に」という話を持ちかけたのが、氏神になった湧弥でし

た。



 ところで、美晴には氏神の資格はありませんでした。美晴に湧弥を上回る力がないであろうことは、

美晴自身は勿論湧弥にも分かっていました。日下部家では、氏神は『天界での地位を与えられ、滞在

することを許された御魂』という扱いなので、天と幽世を行き来することができますが、御鏡家では

氏神は天に在るもの、氏神の資格がないものは幽世へと送られるものであって、死後氏神の資格のあ

るものとないものが出会うことはできません。しかし、美晴は自分に氏神の資格がなくてもそれでい

い、とも思っていました。

 自分が意識を失っている間に凄惨な死を自ら選んだ湧弥とこうして再び出会い、自分の想いを受け

入れてもらえてお嫁さんにもしてもらえた。月が満ちれば、二人の子が御鏡の家へとやってくること

になります。美晴にはそれだけで十分でした。しかし、交神が終わってふたりが別れる時、湧弥が思

いがけないことを言い出しました。美晴が、自分には氏神の資格はないだろうけれど、こうしてお嫁

さんになれただけで幸せです――彼女の言葉を受けて、こう言ったのです。


 ――お前は氏神にはなれないけれど、天へ迎え入れることはできる。太照天昼子が、お前の命が終

わった後天人の地位を与えてもよい、と…そう言ってくれた。


 御鏡家での昼子は基本的に例外を認めませんが、その彼女が特例として了承した、というのはそれ

だけ湧弥の存在を傍らに置きたいと思ったからです。湧弥のことだから、何かしら昼子相手にも駆け

引きのようなことをしたのではとも思いますが(笑)。


 ――ただし、それはお前だけだ。他の皆までは無理だ。…俺は、お前を縛ることはしたくない。

下界へ戻った後、考えておいてくれないか。お前が望まないのなら、俺は構わない。


 「お前だけ」――つまり、美晴の姉である美苑や他の一族達までは適用されない、ということでし

た。湧弥も、美苑と美晴が生まれた時から一緒の双子同士、何もかも正反対な分とても仲の良い姉妹

であることはよく知っていたので、美苑と無理矢理引き離すような形で美晴を自分の傍らに留め置く

ようなことはしたくなかったのです。

 美晴も勿論迷うことになりました。てっきり、交神が終わったらもう二度と逢うことはないと思っ

ていたのに、命が終わった後にも湧弥とともにいられる――でも、そうすれば美苑とは永遠に離れ離

れ、ということになります。生まれた時からずっと一緒だった半身と別れることになってしまう。



 しかし、その迷いをあっさり否定したのが他ならぬ美苑でした。


 ――なんで迷うの?願ってもない話じゃない、死んでからも湧弥様と一緒にいられるんでしょ。


 ――だって…そうしたら、美苑ちゃんとはもう二度と会えないのよ。


 ――あのさ。あたしたちが死んだとして、死んだ後も一緒にいられるって誰かが保障してくれる?

離れ離れになっちゃうかもしれない、そもそも死んだ後にあたしたちがあたしたちのままでいられる

かどうかも分からないでしょ。でも、湧弥様のとこにいけば、あんたはあんたのまま、確実に一緒に

いられるじゃない。


 ――でも…。


 ――美晴は昔からずっとずっと湧弥様のこと、好きだったじゃない。その大好きだった人と一緒に

いられることが保障してもらえた。あたしのことなんか気にしなくていいの。あたしはあんたが幸せ

に過ごせるってことだけで十分よ。折角もらえた機会なんだから喜んで受けなさい。


 ――有難う…私、美苑ちゃんのことはずっとずっと忘れない。私にとって最高の姉さんよ。


 こうして、美晴は命を終えた後湧弥のもとへと迎え入れられ、美苑の魂は妹の幸せを祈りながら幽

世へと旅立っていきました。後、二人の娘の麗佳も氏神として天へと昇ってくるので、親子の再会も

できたことと思います。


 美晴と湧弥に関してのエピソードはこれでハッピーエンドを迎えるわけですが、実は美苑は美苑で

阿部晴明社中の総髪の剣士(阿部晴明社中の甲です)と恋仲になっていたりするので、そちらはそち

らでまた別途語ることがあればいいなと思います。



『俺屍部屋・文字置き場』へ