俺屍設定
俺屍の一族やその周辺については、結構あいまいな部分が多いので個人で色々考え放題なんですよね。
日下部・御鏡家ではこんな感じというあれこれ。アホみたいに長いのでそれぞれにリンクつけてみまし
た。
・初代当主について
・初代当主とその第1子の年齢について
・短命と種の根絶の呪いについて
・奉納点と交神について
・初代の両親について
・特殊設定・御鏡家の『舞手』について
・昼子について
・大江山事件について
・神様について
・一族と都の人たちについて
初代当主について
初代当主が、朱点童子打倒の切り札として生まれた割にえらく弱い(日下部の初代なんかまっ平ら)
のは、呪いによって歪められてしまった結果であると思ってます。
本来普通に成長する子供として生まれてきた初代当主は、呪いによって無理矢理体を作りかえられて
しまいました。ですから、呪いの力としては、初代当主にかかっていたものが最も強力であり、一族に
かけられていたのは、短命の呪いに伴った「本来あるべき力を封じる呪い」も含まれていると解釈して
ます。呪いを受ける前は、日下部家の初代・紫苑は昼子に匹敵する能力を、御鏡の初代・香流は、元々
御鏡の血に特殊な力があったこともあり(※後述『
御鏡家の舞手について』を参照)、昼子を越える力、
長じれば間違いなく朱点童子に匹敵するか、それを凌ぐであろうと目される力を持っていました。
初代当主は、呪いを受ける前は生まれて間もない赤ちゃんとして日々を過ごしてきたわけですから、
生まれながらに呪いを持っている後々の子孫と比べて、体の急激な成長に対してまだ対応しきれていな
いところがありました。そして両親を喪って一人きりという状況で、戦いの術を教えてくれる人は誰も
いません。そんなわけで、初代はまともに戦えるようになるまで、天界で庇護する必要がありました。
8ヶ月になるまで、第1子とともに神様(交神相手&その候補だった10点神様たち)から術の理や戦う術
を教わりながら天界で過ごしていたのです。
特に、御鏡の初代当主・香流は、当初呪いを受け入れることを断固拒絶しようとしていた(そんなこ
としてもとれるもんじゃないんですけど)ので、呪いの拒絶反応にしばしば苦しんでいて、その意味で
も下界へ下ろせる状況ではありませんでした。
初代当主と第1子の年齢について
俺屍をクリアするとラストに一族の顔と略歴を見ることができますが、初代当主と第1子の生年につ
いては「?」という扱いになってますよね。ゲームがスタートするのは1018年4月、その時初代は8ヶ月
で第1子は4ヶ月だから、単純計算すると初代当主が生まれたのは1017年8月、第1子が生まれたのは1017
年の12月ということになります。…あれっ?なんか計算があわない。
初代当主はともかく(最初に入力する誕生日は、初代が生まれ変わった日であって必ずしも初代の誕
生日と同じである必要はないと思うので)、交神して子供が来訪するまでは2ヶ月かかります。だから第
1子が1017年の12月に生まれるなら、初代当主は1017年の10月に交神しないといけない。しかし大江山は
11・12月にしか開かないわけで…あれーという感じになってしまいます(笑)。
ここんとこがどうも辻褄が合わないので、拙宅では初代とその子供についてのエピソードがピンとき
てなかったんですが、源太・お輪が朱点閣に到達するまでは大江山への入山制限(笑)はなかったんじ
ゃないかな、ということにしてみました。
それまでは大江山討伐隊はことごとく返り討ち(→そして白骨城の材料行き)、朱点童子としても退
屈するぐらい手ごたえのない連中ばかりが相手だったので、「来るならいつでも来てみやがれ」と大江
山の門も開きっぱなしだったんじゃないかなと。しかし、神々が第3の朱点童子を生み出すというなりふ
り構わない手段に出たため、流石に朱点童子も驚いて、赤ちゃんのうちに初代に呪いをかけました。そ
して漸く楽しみ甲斐のある相手が出てきた、とばかりに、大江山の門を1年のうち2ヶ月しか開かないこ
とにしたのでは、と。黄川人なら「遊戯は制限があった方が楽しいだろ?」とか言いそうだなと思って
(笑)。思いっきりOPでは源太・お輪夫妻が雪中行軍してますが、鬼の本拠地なんだから気候が違うぐ
らいあってもおかしくないよなってことにしときます、永久氷室なんか年中真冬だしね!(え)
というわけで拙宅では源太・お輪夫妻が大江山へ入山して討死(お輪は死んでませんが)したのが
1017年9月、囚われの身になっていた初代が昼子に救出されて天界入りし、交神したのが1017年10月(初
代生後2ヶ月)ということにしてます。
しかしそうするとお輪は子供産んで1ヶ月で戦線復帰したことになりますが…生身の女性ではそんなこ
と絶対むりだと思うんですけど(産後の状態によっては1ヶ月だと起き上がるのすら難しい人もいると思
うし)、まあ純血の神様なんだから人間よりはるかにタフなんだろうなということで(え)
短命と種の根絶の呪いについて
まず種の根絶の呪い。「人と交わって子をなすことができません」といわれますが、「人と交わるこ
とそのものはOK、子供はできない」のか「行為もできないし子供もできない」のかは解釈次第。日下部
家では「子をなすということに関する身体的な能力が完全に失われている」と断言していますので、一
族間での恋愛も完全にプラトニックなもの限定です。行為OKで子ができない、という解釈だと、子供が
授からない夫婦っていうのは一般の人にもいたと思うので。徹底的に不幸な呪いをかけられて、一般の
人とは到底かけ離れた存在になってしまった、という一族の悲劇性が少し薄れてしまうかなあ、と思い
まして、身体的な能力からして失われているという解釈にしました。仮に好きでも結ばれることすらで
きない方がずっと哀しいし(そしてだんだん『ああそんなかわいそうな設定にしなきゃよかった』とか
思い始めてくる←今ここ)。
ところが御鏡家ではそうではなく、子供ができないだけで行為はOKということにしました。当初は日
下部と同じ設定でいくつもりでしたが、『風ノ絆』を描いた時、描き手が全く意識しないうちに九代目
当主の凱が妙に思わせぶりな行動を取ってしまったせいです(え)
続いて、短命の呪い。これは2年に満たない間に死に至る、というものですが、じゃあ何ヶ月は何歳く
らいなの?ということが気になりますよね。これも個人個人で全く解釈が違うと思います。拙宅の場合、
交神の後数日後に授かった子が赤ん坊の形になるので(後述の『
奉納点と交神について』参照)、天界
で神様が下界に降ろすまでの一月の間育て、5〜7歳児程度になったら下に降ります(この時点で0歳0ヶ
月)。
赤ん坊の世話はどうしてんの?というところですが、天界にいるのは神様だけじゃなく神様に仕える
天人達がいるでしょうから、その人達がサポートというか乳母役ということでお乳や下の世話をします。
あやしたり抱っこしたりするのは神様ってことで(黒蝿がオシメ替えてる姿は想像できない/笑)。
小説の方を読むと赤ちゃんのままで来訪してるっぽい絵が描かれてるんですが、赤ちゃんから初陣ま
で2ヶ月しかないのに、主だった躾から戦い方から勉強まで全部やるのは大変そうだなー、ということ
と、赤ちゃんの状態で降ろしちゃうと親神の記憶がほとんどない状態になってしまって、それはそれで
寂しいなあ、ということで。
ちなみに初代当主は、最初の交神から8ヶ月になって下界へ降りるまではずっと天界で過ごしてきたの
で、一族の中で唯一、わが子を乳飲み子から育てた経験がある人です。10点神様たちは初代に自由に会
うことができたので、初代の第1子は下界へ降りるまで両親と一緒に過ごしていたことになります。ある
意味一番幸せな子かもしれません(笑)。
下に降りて1ヶ月が過ぎると大体8〜10歳くらい。初陣の頃には10〜12歳くらいで、3ヶ月目からは一月
に人間年齢で1歳ずつ歳をとります。…と書いておりますが、この時期は成長の度合いに個人差がありま
すので、やけに早い子(巨乳持ちとか(笑))もいれば遅い子もいるし、ある時期からほとんど外見的
な年齢が変化しなくなる子も稀にいます(指南書上1右1や右1下4の男の子、指南書右1下1の女の子(笑)
など)。元服を迎える八ヶ月が18歳程度で、この頃になると身体的な成長は終了します。
当時の元服だったら15歳前後だと思うので、ちょっと遅めになります。また、初陣の年齢も、ほんと
はもう少し早くてもいいのかもしれませんが、個人的にあまり幼いうちから殺伐とした戦いの場に行っ
てほしくないなあ、というのと、まあ戦力としてカウントできそうなのは、大体このくらいの年齢かな
あ、ということで初陣は大体このくらいから。
奉納点と交神について
交神については、ほんとに人それぞれ解釈が違いますよね。私は、日下部・御鏡どちらについても
「儀式のみで具体的な行為は一切なし」ということにしてます。日下部家はそもそも身体的な能力その
ものがありませんし、御鏡家の場合も一族に子をなすための生理的な能力がないわけですから、それを
行う意味がないのではと思ったからです。あとビジュアル的にそりゃ無理なんじゃ…というような神様
(餅ノ花さんとか河太郎さんとか…/笑)も結構いるので。儀式なら相手が誰であれ(え)子供はでき
ますし(゚∀゚)
儀式と言っても、ゲーム上のグラフィックとほぼ同じように、交神の間にもうけられた方陣の上に座
ってイツ花が儀式の舞を延々と舞います。そうしますと、互いの遺伝情報のコピーが抽出されて混ざり
合い、赤ん坊の原型ができあがります。一般人で言うところの受精卵の状態。天界と下界では時の流れ
が根本的に違うので、儀式をやっている間に月の大半が過ぎてしまいます。
この後、一般人の場合はお母さんのお腹の中で細胞分裂して大きくなっていくわけですが、交神の場
合は誰のお腹に入るわけでもないので、この赤ん坊の原型はイツ花が天界の昼子が管理する『真珠の間』
という部屋に持って行きます。ここには光の玉が安置されていて、これが母親のお腹の代わりになり、
赤ん坊の形に育つまで入れておきます。赤ん坊の形になるまでは昼子がそれを見守り、時が満ちたら中
から出して、親神に渡されます。
↑『真珠の間』。中に入っているのは黒蝿の子の凱。
上述の種の根絶の呪いの項目で、元服が8ヶ月すなわち18歳ということになっているのは、この儀式を
行う上で遺伝情報を抽出する際、安定した情報が得られる年齢が8ヶ月以上、と神々が判断したことによ
ります。通常の受精とは異なる方法なので、身体的な成熟が要求される、と。初代が僅か2ヶ月で交神し
て第1子を為した際は、幼いことに加えて朱点童子によって無理矢理体を作り変えられてしまったことも
あり、まだ遺伝情報そのものがとても不安定な状態で虚弱な子が生まれたりする可能性がありました。
この場合は、特例ということで昼子が少しだけ遺伝情報を混ぜる際に手を貸しました(御鏡のデータ
では、初代の子は全員10点の神様の子でしたが、第1子の弧月だけ随分素質が高めだったんです)。
奉納点は、ゲームの上では経験値と一緒にもらえるもので、神様との交神で消費するものですが、拙
宅では戦いによって経験を積んだ一族の強さに応じた神様が相手をする、という解釈をしています。一
族と神様の力に余りにも差がありすぎると、抽出された一族側の遺伝情報が神様のそれに負けてしまい、
消滅しかねないから。
初代当主の最初の交神の場合、上述のように幼い&遺伝情報が不安定ということがあって、10点の神
様くらいしか釣り合いがとれなかったのです。一族の交神は、神々と交わってより強い血を繋ぐ、とい
うのもありますが、神々と交わることによって本来持っていたはずの力を取り戻す、みたいなことも含
まれているのではとか思ってます。
ちなみに。凱のお陰で(笑)、身体的な制約が軽減されている御鏡家の場合、交神の間の隣には閨が
あります。というのも、神々から「折角の逢瀬なんだから、相手さえ応じてくれるならそのくらいの役
得があったっていいじゃん!」という熱烈な主張(笑)が寄せられたためです。なので、元服を迎える
と一族はその辺のこともイツ花から教えてもらいます(イツ花のことだから物凄く大雑把でしょうけど)。
そのため、御鏡一族の交神では、男神様が一族女子を口説いたり、一族男子が猛烈な勢いで(笑)女神
様を口説いたり(一部女神様が男子を口説いたり)という光景がしばしば見られました。勿論閨にはイ
ツ花は立ち会いません(笑)。
しかし、閨を置いてもよかろうと昼子が判断した際、「あくまでも双方合意の上、ごり押しのような
ことはしない」ことを前提としました(うちの昼子はその辺結構固いです)。なので、口説くのも度を
越すとイツ花から教育的指導(扇はハリセン兼用/笑)が入ります(笑)。多分そういうことはめった
になかったと思いますけど(笑)。
実際、閨は交神の際結構な頻度で活用されていました。というのも、日下部のように身体的な能力が
一切ないのならともかく、相手と向かい合って儀式しただけでできた子供が「自分の子だ」と言われて
も実感できない、というのが口説く神様側の主張で(笑)、一族側も、特別想い人がいるとかそういう
ことそのものに抵抗があるとか、「この神様とどうやって?」みたいな相手だとか(そういう神様はそ
もそも口説こうという考えがなさそうですが/笑)でない限り、「そりゃ確かにそうだ」と応じるケー
スがほとんどでした。
そんなわけで、御鏡では日下部に比べて神様・一族カップルや神様→一族への片思い(え)といった
パターンが多かったりします。神様に熱烈な親バカが多いのは日下部・御鏡共通です(笑)。
初代の両親について
源太が第3の朱点童子の父として選ばれたのは、武門の家柄で朱点童子討伐に赴けるような実力の持ち
主であること、そして大江山事件に関わっていなかったことが理由でした。大江山事件で朝廷から『鬼
女』の烙印を押されたお業とお輪は瓜二つの容姿でしたから、都合が悪かったのです。お輪自身も、妹
や姪、甥を嬲り殺しにしたような連中を相手にする気はありませんでした。源太はああいう堅物で朴念
仁な性格ですから、武人としての腕前を高く評価されていたにもかかわらず、大江山討伐には大儀がな
いということでそれを拒否し、地方へ干されていました(笑)。
源太を干したものの、都ではその後大江山で死んだはずの赤子が見事に祟って(実際は死んでなかっ
たわけですが)、壊滅的な被害を被りました。黄川人は神々の手によって『大江山の朱点童子』の中に
封じこめられましたが、鬼の存在が消えたわけではないので、都が危険に晒されている状態は続いてい
ました。阿部晴明を始めとした陰陽師たちは、都を鬼から結界で守るのに手一杯、差し向ける討伐隊も
行っては返り討ち、という有様で、朝廷もこれはマズイと焦り、源太を呼び戻して朱点童子討伐の命令
を出しました。
源太の実力は朝廷の武人の中でも抜きん出ており、源太が朱点童子討伐のために中央に呼び戻される
であろうことは予想済み、お輪の相手としてはちょうどよかったのです(詳細は考えてませんが、源太
はお輪の背後にある神々のことは知らなくても、お輪が人ではないことは知ってました。知ってても奥
さんとはラブラブでした)。
お輪が初代を産んだにも関わらず、朱点閣へ赴いたのは、夫と、夫との間に生まれた子供に自分でも
戸惑うほどの愛着を感じ始めていたからでした。お輪が『三人目』の親を買って出たのは、自分の妹の
子供たちが原因になったことに対する償いのような気持ちがあったというだけで、たぶん最初は源太の
ことは「三人目の親として相応しい相手」ぐらいにしか思ってなかったと思います。しかし、夫婦とし
てともに暮らすようになり、子供も生まれる過程で、お輪の意識は大きく変化しました。源太は女性に
対して歌を送るなんて風雅なことは到底できない気性、女っ気皆無な朴念仁でしたが、ひとたび惚れた
女ができれば誠実にひたむきに愛してくれるような人でした。
お輪は、そんな夫を何としても守りたくなっていたし(仮に朱点童子の器を倒せたとしても、源太で
は黄川人が倒せないのは明らかでした。源太で倒せるようなら、3人目作ろうなんてリスクの高いこと
しないし/笑)、このまま我が子が長じて朱点童子と骨肉の争いを繰り広げることになる、ということ
にもいたたまれなくなっていました。
大江山の鬼はあくまでも器にすぎず、器の上から本体を倒すことはできないことは分かっていました
が、封印が解けた直後ならば弱っているかもしれないという可能性に賭けたのです。もしお輪の心が源
太と出会う前のままだったら、この僅かな可能性に縋るのは余りにも無謀だ、とすぐに思いなおして生
まれたばかりのわが子を育てることに専念したでしょう。彼女の当初の目的はあくまでも『神と人の血
を引く3人目の朱点童子を産むこと』であって、そこに旦那の生死は含まれていないのですから。
でも、それをせずにお輪は大江山に行ってしまいました。この時点では、まだ朱点童子側に計画が漏
れたことは分かっておらず、お輪が夫についていくことも昼子にとっては全くの予想外でした。誤算が
重なり、初代当主は呪いを穿たれることになってしまったのです。
特殊設定・御鏡家の『舞手』について
日下部家では特に設定はありませんが、御鏡家ではちょっと特殊な設定があります。御鏡の家では踊
り屋を『舞手』と呼び、選考会とかで出てくる踊り屋たちとは根本的な性質を異にする存在でした。選
考会で出てくる踊り屋や日下部の踊り屋の攻撃方法は、扇から発生させる衝撃波による打撃ですが、舞
手の攻撃方法は、真空刃による防御不可能の斬撃です。踊り屋達の扇は衝撃波を生み出すために必要で
すが、舞手のそれは真空刃の威力を増大させるためのものにすぎないので、なくても戦えます。
御鏡の舞手は、古代から人外の存在と戦うために特化した能力者で、舞うことに伴う手さばき、足さ
ばきによって真空刃を生み出すことができました。舞手にとっては、舞の動きそのものが術者でいうと
ころの印を結んだり真言を唱えたり、といった行為に相当します。
よく古代のシャーマンは舞って神憑り状態になってるイメージがありますが、あれが戦いの方向に特
化したのが御鏡一族でした。一般的な術とは根本的に理が異なるため、術封じの結界の類は舞手には一
切効果がありません。
また、舞手の刃の威力は、元々鬼を始めとした人外の存在と戦うために特化したものなので、人相手
ならば扇は必要ありません。手の動きだけで簡単に、それこそ何人でもあっさりと殺めることができる
恐るべき力でした。
そんな力を持っていたため、過去に一度御鏡の血が絶えかけたことがありました。その力の強大さを
恐れた朝廷から嫌疑をかけられて、一族が壊滅寸前に追い込まれたのです。その時の生き残りが、表向
きは絶えたということにし、名前も元々は『御神楽』だったのを『御鏡』に変えました(半分実話です、
当初は『御神楽 斎(みかぐら いつき)』という名にするつもりだったのですが、あおり文句が気に
入らなくて今の名前になりました/笑)。さらに、一族の血を守るために「人相手に舞手の力を用いる
と舞手自身が死ぬ」という制約を自らの血に課しました。人相手に使えないならば脅威と思われない、
と考えたのです。なので、表向きは御鏡家の舞手の存在は極秘ということになっていて、選考会に舞手
が出る場合は踊り屋と同じようにして戦い、表向きの呼称も『舞手』ではなく『踊り屋』です。
そんな風に強大な舞手の力ですが、御鏡の血筋ならば全員が持っているかというとそうではなく、呪
いを受ける前は一族宗家にのみ受け継がれてきた能力でした。前述した、一族壊滅の危機から生き延び
た者、というのは、一族宗家で当時身重だった女性です。舞手の力を持たない者は、その代わりに抜き
ん出た武芸の才を持っていました。
朱点童子から呪いを受けた後は、呪いの影響なのか舞手の力が血筋と全く関係のない発露の仕方をし
ていて、舞手でない親から舞手が生まれたり、舞手そのものが存在しない時期があったりと安定してい
ません。
源太はといえば御鏡の宗家の者ではありましたが、存在としては異端で、舞手の力を持たずに生まれ
てきた人でした。舞手の能力にも個人差があり、強大な力を持っていた者もいればさほどの才がない者、
源太のように全く持たずに生まれてきた者もいたのです。とはいえ御鏡の者ですから、武芸の腕は超一
流でした。
しかし、宗家に生まれながら舞手の力を持たない、と、細々と続いていた一族からはあまりいい目で
は見てもらえず、息苦しくなった源太は自分の腕試しをするんだと言って地方へ武者修行の旅に出まし
た。その間に都が流行り病に襲われて一族もばたばたと死んでしまい、急を聞きつけて源太が戻ったと
きには、一族のほとんどが死に絶えているというような状態でした。
その後源太は御鏡を背負う者として武人としての名を高めますが、前述のとおり大江山討伐を拒絶し
てしまったので、折角中央に戻ってきたのにまた地方へ逆戻りという目に会いました(笑/本人気にし
てませんでしたが)。
源太の持ち技『真空源太斬』『源太両断殺』は、御鏡の場合ではいずれも舞手の技を見ていてインス
ピレーションを得たもの、としておりますが、源太らしい力技で舞手の真空刃とは違うものです。
源太のその特殊な血筋は、たとえ源太自身に舞手の力がなくとも、武芸に秀でているという意味では
十分価値があるものであり、『初代の両親について』の項目で前述したような理由もあってお輪の相手
に選ばれました。
そうして御鏡の一族である源太と神であるお輪の間に生まれた香流には、この舞手の能力、しかも過
去最強レベルで間違いなく朱点童子と対等に渡り合えるであろうと思われる力が眠っていました。それ
を恐れた朱点童子が、呪いという形で大幅にその力を減じ、舞手の極意を記した指南書は香流を捕らえ
た時に鬼たちによって奪われました。その後反昼子の首魁の一柱であり、朱点童子とも親交が深かった
お夏の根城である紅蓮の祠の奥深くに隠されたのです。
…この設定は、御鏡家では『扇の指南』だけやたらと手に入れるのに梃子摺ったことと(熱狂の赤い
灯が灯っている時に狙い、その上時登りの笛まで使ったのに取れなかったことが2回)、御鏡の踊り屋
が前衛の連中を差し置いてやたらに強い子が多かったこと、特に湧弥→正澄→暁良と三代続いた踊り屋
の血筋がそれはもうべらぼうな能力値を叩き出したために生まれました(笑)。
ただし男子舞手は公式の衣装とそうでないのと2通りあり(笑)、そうでない方は『暁月夜』で暁良が
着ています(漫画のバトルシーンであの超ミニは色々とむりです)。そうでない方がどっちかと言うと
勝負服というか正装で、露出が高い方は簡素な形、ということにします(笑)。女子も2通り考えようか
なと思ったのですが、女子のはあれでいいだろと思い直しました(え)
昼子について
ゲームの中では黒幕みたいな感じになってる昼子ですが、私は彼女をそんなに冷酷とか腹黒いとか二
枚舌とかいう風には思ってないです。交神時の台詞とか、クリア時の台詞とか、神様解放時にもらえる
手紙を見ると、地は間違いなくああいう性格なんだなと思うから(笑)。
脳内設定では、自分の力では黄川人には及ばなかったため、最終手段として第三の朱点童子を作るこ
とにした。この時、本当は昼子自身が責任を持ってその第三の朱点童子の親となるつもりだったんです
が、昼子は朱点童子を封印する際力の大半を使いきってしまって、暫くは動けない状態だった(太刀風・
雷電の『あの子に噛み付かれた傷もまだ治っていないだろう』の部分)ので、伯母であるお輪自ら名乗
りを上げてきた、という感じかなと。大江山の朱点童子は、あれだけの犠牲をはらって施した封印では
ありましたが、黄川人の強大な力をとりあえず減じて、対策を練るための一時しのぎにすぎませんでし
た。そのうち自力で破られるのは目に見えていたので、とにかく急がねばなりませんでした。
昼子にとって、確かに一族は最後の切り札ではありますが、利用価値がどうとか、どうせすぐ死ぬし
とかそんな風には思っていません。やむを得ない状況だったのでとった手段ではありますが、神と人と
の子という、自分と黄川人の人生を狂わせた宿命を一族にも負わせてしまったわけですから。それに、
自分の落ち度(いたずらを働いたお夏を、事情を知っているのに怒りに任せて下界に蹴落としてしまっ
た)で計画が漏れてしまい、更に余計な業を負わせてしまったのを申し訳なく思ってたりします。恨ま
れて当然である、という覚悟を持って計画を遂行しました。昼子の当初の計画では、お輪と源太の子が
第3の朱点童子となって見事朱点打倒を果たし、天寿を迎えた後には天界に迎え入れるつもりでいまし
た。
そんなわけで、昼子はむしろ一族の絶対庇護者じゃないかなと思っています(というか親としてそう
であってほしいんです/笑)。下界のことには絶対干渉しないと決めている(神様が干渉したために大
江山での事件が起きたので、彼女は神様が余計に干渉するとろくなことにならないと考えています。で
すから、神様の干渉を極端に嫌う傾向があります)ので、一族が鬼相手に戦死したりするのは辛くとも
仕方がないと割り切りますが、天界で一族の存在を快く思っていないようなのがいたら、容赦なく粛清
を行います。
そんな彼女ですが、初代に関しては特別な思いいれがあります。と言うのも、初代は先ほど書いたよ
うに自分の落ち度で呪いという業を負わされてしまい(判断する時は冷静沈着のイメージがありますが、
お夏追放で計画がバレた経緯については意外と気性が激しい面もあるんですね)、一番身体的にも辛い
目にあっていて、それを天界で庇護していた間目の当たりにしているからです。ですから、初代の第1子
の交神にも手を貸した他、赤ん坊だった初代を大江山から救出して家に連れ返した際には、わざと人目
につくように神々しい光を発しながら姿を見せたりなんかして、「この家は鬼によって呪いをかけられ
たけれども、神の加護もあるんだよ」という演出をしたりしていますし、初代が天界にいる間は協力を
惜しみませんでした。
イツ花はというと、昼子の一部ではあるんですが、昼子がかつて「イツ花」として生きてきた人間ら
しい部分を切り離した存在です。一族に対する情に流されていたら計画が遂行できないので。だから情
の塊みたいなイツ花を、天界を動けない自分の代わりに支えとなってあげてね、と下に降ろしたのかな
ーと思います。だからイツ花に与えられた人格のベースはあくまでも昼子の地の部分ですが、イツ花の
記憶そのものは「昼子様にあこがれている天界からのお使い」であって、神様の計画云々は全く知りま
せん。あんな大雑把な娘に教えたら、いつ何時ウッカリしゃべってしまうか気が気じゃないですしね
(笑)。ちなみに、昼子は初代が天界に保護された段階で『イツ花という存在を自分から切り離して初
代に同行させる』と決めていたので、昼子の顔を初代は知りません。
自身の情の部分をイツ花として切り離しはしたものの、昼子の心理も『3人目を作る』と決めた当初
に比べて、お輪同様随分と変化しています。初めは『3人目』の存在はあくまでも手段であり、同じ業
を背負わせて申し訳ないと思いつつも結構サバサバと計画の遂行をしていたのですが、何人もの一族が
育って行くところを見守っているうちに、昼子自身も気づかないうちに親のような気持ちになっていて、
情をこめて一族を見守るようになりました。
天界では基本的にサバサバ淡々としていて、意に沿わない存在はバッサリ切り捨てるというのが昼子
のスタンスですが、昼子にごく近しいサポート役の神様たちは、そういった昼子の心理状態の変化に気
づいていました。
大江山の朱点童子はただの器に過ぎない、ということを敢えて一族に教えなかったのは、黄川人がど
ういう相手であるかを改めて認識させるためには必要だと、感情云々を切り離して彼女なりに考えた結
果だということにしてます。
大江山事件について
神様にも色々派閥があったと思います。あれこれ考えて話でも書くか、とか思っていて、九尾吊りお
紺の話で煮詰まってる間に小説版が出てそのままになっていたネタなので、ここで出しちゃえ(笑)。
こんな解釈もあるのねー程度に読んでやって下さい。
小説版では、吠丸とかがお業に子が生まれたのをこりゃいいヒマ潰しだ、とばかりに色々と下界に干
渉して大江山事件が勃発してますが、自分の設定を読み返してみると吠丸たちはむしろお業の子の存在
そのものに反対する立場でした。
お業が人間との間に子を為してしまったため、天界ではこりゃ大変だと大騒ぎになりましたが、そこ
で真っ先にお業の子を殺すべきだと主張したのが吠丸でした。彼は小競り合いばっかしてる人間なんか、
相手にする価値ねえよと思っているので、神と人との間に生まれた子の存在そのものが気に食わなかっ
たのです。人として生きるには力が強すぎる、かと言って人の血を引く者を神として迎え入れる気には
なれない。魂ごと消滅させてしまえ、というわけです。彼は元々夕子が統治者であることが気に入らな
い側の神でもありましたので。
夕子はというと、太刀風・雷電によって雷と風をもらった人間達が、相変わらず戦ばっかりしてるの
で何とかならないかなあと思っていて、神の血を引くお業の子が人の導き手にならないだろうかと考え
ました。現に下界では、生まれて間もないイツ花がすぐに言葉をしゃべり始めたり、体の悪い人を治し
てしまったりといったことが起きていて、既に神の子だと崇め奉るようになっていたので、これは丁度
い、様子を見ましょうという処断を下したわけです。
交神の項目で書いたとおり、基本的に天界と下界では時の流れが違うので、こんな調子で神様がああ
だこうだとモメている間に、下界ではイツ花に続いて黄川人が生まれました。彼らの信者は新たな神の
子の誕生に大いに盛り上がったんですが、その存在を快く思わなかった人も勿論いました。時の帝とそ
の周辺の人たち。帝というよりは、自分の娘を帝の妃にしてその外戚になって権力をふるってたような
人たちじゃないかと思います。吠丸たちはそこにつけこんで、神託だと称して巻物やら武具やらを与え、
大江山へ焚きつけた…というような話を自分で作ってたみたいでした(そんな他人事みたいに…)。
神様について
神様は大昔、永遠の命を手に入れた後、肉体を捨てて天に昇った存在です。で、何で餅だの牛だのハ
ニワだの猿だのがいんだよという話になるわけですが(笑)、多分肉体を捨てた時に自分のなりたいイ
メージを思い浮かべたら何故かそうなっちゃったということで(無理矢理だなあ)。
肉体を捨ててるので、天界にいる間の神様は肉体を持たない存在、霊体というかそんな状態です。交
神の際には、下界と天界との中間のような空間である『交神の間』で行うので、仮初めの肉体を持って
降りてきます。交神のような僅かな期間ならばそれでいいのですが、下界に長期間滞在する場合は完全
な肉体を持った状態で降ります。ただしこの体は、かつて神様が劣化したことで嘆いて捨てたものでは
なく、自ら作り出したものなのでどれだけ滞在しても外見的なものは変わりません。戻る時は肉体を捨
てて(切り離して消滅させる)から戻ってきますが、朱ノ首輪は、肉体と霊体を切り離すことができなく
なるものなので、これがはまっている神様は朱ノ首輪を外さない限り天界へは戻れません。
氏神はといえば、『幽世にありながら天界での地位が約束されている&交神の間への出入りが許され
ている御霊』という位置づけです。こういう風にしとかないと、飛炎と環があの世で会えないので(笑)。
ちなみに、朱ノ首輪がはまってる神様は昼子・夕子の統治に与してないか、何らかのトラブルに巻き
込まれたかのどちらかだという解釈をしてます。『朱ノ首輪』という名称の呪具そのものは朱点童子が
作ったもので、彼と戦うなり何なりして強制的に鬼に身を堕とされてしまった神様にはこれがはまって
います。中には、自身の怨念や執着、絶望などによって地に縛られて天に帰れなくなった(帰る気がな
くなった)神様も含まれていますが、天に帰れない状況、というのを「朱ノ首輪がはまった状態」と同
じ、という解釈にしてます。だから氷ノ皇子なんかの朱ノ首輪が外れた、というのは、別段首輪をつけ
ていたわけではなく、黄川人への執着やら迷いやら何やらが、一族との戦いを通じて解けた、という状
況です。神様の派閥はこんな感じ。
反体制派:黄黒天吠丸、赤猫お夏、八手ノお墨、百足お銀、鳴神小太郎(←こっちの方が楽しそうだ
から入ってみただけ)、赤羽根天神、阿狛・吽狛、稲荷ノ狐次郎(暇つぶしに丁度いいと思っただけ)、
速瀬ノ流々
隠遁派:氷ノ皇子、敦賀ノ真名姫、六ツ花御前、万屋玄亀、鳴かず弁天、五月川山女
我関せず派:やたノ黒蝿
事故:白波河太郎、土々呂震玄、稲葉ノ美々卯
大江山で返り討ち:土公ノ八雲、七天斎八起、石猿田衛門、虚空坊岩鼻、風車ノお七
これ以外の神様は、基本的に夕子(夕子隠居後は昼子)の方針に従う神様と、どっちでもいいや〜み
たいな流動的な神様。
赤羽根天神と阿狛・吽狛を反体制派に入れるのには結構迷ったんですが、吠丸と並んで反体制派のツ
ートップとも言えるお夏の根城にいる神様ですから、反体制派というわけではなくとも、お夏と懇意に
していた可能性を考えてこっち。見るからに癖のありそうな神様ばっかりの派閥です。
隠遁派は、お業の子には罪はない、神としての力を封じた上で人として生きるようにすればよかろう
と言う意見の神様たちで、人が自分から全てを奪っていったことに失望して永久氷室に隠遁した氷ノ皇
子を筆頭に、彼の慈悲深く思慮深い人柄に惹かれて集まった神様の派閥。氷ノ皇子が黄川人の出奔とそ
の後の下界の騒乱を目の当たりにして、さらに氷室の奥深くにこもってしまったため、その後を追おう
としていたところを朱点童子に捕まってしまった神様が多数。基本的に水神様ばっかりの閥です。
事故、ということでくくられている神様たちは、元々天界ではなくて下界に住処を作り、下界の人た
ちから祠とか作られて拝まれていましたが、朱点童子が都を襲った時に鬼にされてしまいました。やた
ノ黒蝿は我関せずの権化みたいな神様で、どっちにも関与する気はなかったんですが、気まぐれに下界
と天界を行ったり来たりしている時に朱点童子に囚われた感じ。
大江山で返り討ち、は見てのとおりの意味で、封印に関与することのない、奉納点が低めの神様たち。
封印の邪魔をすることがないように、朱点の雑魚敵たちを駆逐するため戦いに参加した神様です。お七
さんはどうするか迷ったんですが、個人的にすごく清楚なイメージがあり、反体制派という感じがしな
かったので、この辺に入れときました(そんないい加減な)。土公ノ八雲は結構ダークなイメージがあ
りますが、解放条件に「月光天ヨミの子がいる」があったので、ヨミ様のために戦いに参加したのかな
と思ってこっち。
封印に関わった神様たちが不在になった後は、昼子・夕子の意思を伝え神様たちをまとめる存在だっ
たのは鎮守ノ福郎太じゃないかなあと思ってます(←趣味出た)。だって夕子から下の神様はみんない
ないし、仙酔エビスは「隠居にめんどくさいことやらせるな」とか言って何もしなさそうだし。福郎太
は八方美人とかじゃなく、普通に誰とでも仲良くできそうなので…。天界での格付けというとこんな感
じかなあ。かなり私の思いいれが混入しています(笑)。
皇子(隠居)、昼子>夕子、獅子丸(隠居)、エビス(隠居)>常世見、日光、月光>光無し、吠丸、
福郎太>壱与、有寿>他
一族と都の人たちについて
基本的に、日下部・御鏡一族については都の人たちとはそれなりに距離を持った関係を築いているよ
うです。昼子の項目で述べたように、神様が降りた家ということでとりあえず鬼だとは思われてはいま
せん。
それでも、見た目がとにかく奇抜ですし、短命の呪いによる死の影がつきまとっているため、積極的
に関わろうという人はほとんどいません。近寄ったら呪いがうつる、なんてまるで伝染病にかかったみ
たいな目を向けるような人もいます。しかし都を復興してくれたり、鬼に襲われかけた人を助けてあげ
たりすることもあったので、呪いを受けてお気の毒に、と同情してくれる人、呪いを受けているけれど
も中身は人なんだな、と理解して普通に接してくれる人も勿論います。また、病や貧困にあえぐ人たち
なんかからは、勘違いされて神様みたいに崇められることもあります。ただし内裏の方では呪いつきの
家として徹底的に蔑まれており、一族もそれを了承していて、進んでこちらの人間と関わる気はありま
せん。特例として、御鏡家三十代目当主の湧弥(←飛炎顔)は、阿部晴明と懇意にしていました。また、
御鏡の舞い手として生まれた彼は舞の腕は勿論、管弦の腕も超一流だったため、内裏の人間から一目置
かれていました。それ以後も湧弥の子の正澄、さらにその子の暁良、時代がやや下って陽明丸、燈弥な
どの舞手たちが舞や管弦にやはり抜群の才を見せたこともあり、『御鏡の踊り屋(※舞手の表向きの扱
い)は見事な楽人揃いだ』という評価が生まれました。
日下部一族は、初代が都から少し離れた高台へと住いを移しました。あまり都の人間と深入りするの
は避けた方が良い、と判断したからです。
御鏡一族は、都の中に住いを構えています。討伐時以外にはそうそう外に出ることはないので、特に
不自由なことも生じていません。
大江山が閉じ、朱点童子の封印が解けた際には、当時の日下部家当主だった魂子、御鏡家当主だった
凱が勿論内裏からの呼び出しをくらいました。が、大江山の朱点童子を成敗せよと命じたのは他ならぬ
内裏であること、朱点童子が自分たちと同じように呪いを受けた哀れな子供なのだ、どうか鬼を倒して
くれと言うのにまんまと騙されたのだということを、魂子は妙に和み口調で、凱は真っ直ぐに相手を見
返しながら包み隠さず話したので、鬼の使いだの何だのと言われたり、石を投げられたりとかはしませ
んでした。
ちなみに、氷一族については、『落ち葉の散るころに』を漫画として起こした『遠き約束』にもある
ように、最初都の人たちから得体の知れない鬼つきの一族、と思われていました。しかし、氷家12代目
当主瑠璃の時に、初めて選考会に出ての折、その超然たる美しさと武神のごとき強さ、潔さ、洗練され
た立ち居振る舞いに皆圧倒されてしまい、以後イメージが一変して一目置かれるような存在になりまし
た。