天人のごとき舞

 俺屍十周年祭『親馬鹿全員集合!』に投稿した、御鏡家32代目当主・正澄(まさずみ/男子6番/ 水髪風目土肌/踊り屋)です。元々強化期間お題【線画】で正澄の線画だけを投稿したんですが、 己にCGスキルがないので(滅)他の方のものを塗ることができず、折角だから自分のくらいは真面目 に塗ろう…と思って原画をトレースしました。  正澄は30代目当主の湧弥が、生前におぼろ夢子との間にもうけた息子です。つまり湧弥は34代目の暁 良の祖父にあたり、暁良と麗佳は後に夫婦になりますが歳の離れた叔母と甥、という間柄でもありまし た。  元々湧弥は一族を守るという意識が強い人で、その反面自身のことへの認識はかなり薄いところがあ りました。自身にとってどうこうではなく、それが一族にとって益か不益か、ということで判断してい たので、生前の交神は舞手の能力を継承するという目的のためのものでした。  正澄と湧弥の間柄はいわゆる『当主と跡取り息子』という感じで、湧弥は自分が開花させた舞手の 血を継承させ、それを扱うのに相応しい者として正澄を育てました。なので『守るべき家族』である 他の一族に対しての接し方と『自分の後継者』である正澄に対しての接し方は明らかに違っていて、 正澄の方も湧弥の刷り込み(笑)によって、「自分は父上の力を継ぐのに相応しい舞手にならなけれ ばならない」とひたむきに努力するような子でした。  正澄の初陣は美晴を大将とした春の選考会、その美晴が暗殺未遂に会って昏倒するところを目の当 たりにしていました。まだ少年だった正澄にとって目の前で起こったこと、一族の置かれた立場―― 何よりも、敬愛する父が『鬼』になって死地へと赴くことはあまりにも重すぎました。  ――今日起こることは『鬼』がしたことで御鏡家と一切無関係。御鏡の三十代目は死んでいて、今 の当主は三十一代目。いいな。  どうせ今月で命が尽きるのだから、と事も無げに笑う当主に、皆止めることも声をかけることもで きず、沈黙の中微かなすすり泣きが漏れるだけでした。それを破ったのが、正澄の凛と通る声でした。  ――父上。  『蘭陵王』の緋色の舞装束を身につけ、一族に背を向けて仮面を被ろうとしていた湧弥はその声に 振り向きました。  ――どうぞお気をつけて…ご武運を。  正澄はまだ初陣を終えたばかりの少年の年頃、声変わりもしていませんでしたが、声ははっきりと その場に響きました。しかし平静を装おうとしているその瞳に涙が滲んでいるのを見て、湧弥は初め て正澄を『後継者』ではなく『自分の息子』である、という目で見ることができました。  先にも述べたとおり、湧弥は正澄を舞手の力を継ぐに相応しい者として育ててきて、正澄の方も父 の意図を汲んで父上に認められたい、父上のような舞手になりたい、という思いで湧弥からの指南を 受けてきました。  そんな間柄だったので、正澄は幼い頃から子供らしい感情を表に出さない子でした。いつも折り目 正しく「はい、父上」と父の言うことを聞いて、大きく怒ることも笑うこともせず、本人もそれが当 たり前だと思っていました。周囲もまた、当時絶対的なカリスマ当主だった湧弥の息子であり、早々 に舞手としての才能を開花させた正澄に対しては一歩も二歩も引いたような接し方をしていました。 正澄の顔立ちが来訪当初からこの世ならぬ者のように際立って整っていたことも、正澄への近寄りが たさを助長していました。しかし正澄はけして感情に乏しいわけではなく、ただ表に出さないだけ、 それに慣れているというだけでした。  敬愛する父が一族のために『鬼』になりに行く、というような状況では、到底感情を抑えることは できなかったのです。  その正澄が初めて父である自分の前で、内面の感情を押し殺したような顔をしているのを見た湧弥 は、死を前にした状況だったこともあったと思いますが、正澄が折り目正しい『後継者』ではなく、 きちんと喜怒哀楽を持っている『子供』、自分を父と慕う『息子』なのだ――ということを今更なが らに思ったのでした。    ――正澄。俺がこれからすることは、『ご武運を』なんて言えるようなものじゃない…一方的な殺 戮だ。  ――舞手の生み出す刃は諸刃、それを忘れるな。  振り向いた湧弥はそう言うと、当主の顔から一転して父親の顔になって笑い、手を伸ばして正澄の 髪を撫でました。  ――知らないうちに、大きくなったな。  その言葉に正澄はもう感情を抑えることができず、ぼろぼろと大粒の涙を流しましたが、湧弥は指 で息子の涙を拭ってやると「言ってくる」と短く告げ、そのまま戻ってきませんでした。  父が自分を後継として見ていたことは正澄自身も十分理解していただけに、余命わずかだった父が あんな死に方をしなければならなかったのは(湧弥も余命わずかだったからこそそういう手段に出た わけですが)、自分が未熟だったからだ、と思わずにはいられませんでした。勿論、子供だった正澄 に高度な駆け引きや謀略の類ができるはずもないのですが、もし父が安心して後継を任せられるほど に自分が経験を積んでいたら、それだけの経験を積むだけの年を重ねていたら――正澄は、何もでき ない自身への悔しさとともに、出て行く父の緋色の背中を目に焼き付けました。  残された正澄は、父が生きていた時以上に「父上のようになる」という思いを強くするようになり ました。それが正澄の中で徐々に二面性として現れるようになっていきます。  湧弥が生きていた頃、そして湧弥が死んで美苑が当主になっていた10ヶ月ほどは『鬼』騒ぎのこと もあって、御鏡家に反感を持ちながらも湧弥に「相手にする価値もない」と判断されていた連中は、 怖くて何もできませんでした。しかし、そういったやつらは正澄のたおやかでおよそ武人とは程遠い、 女性と見まごうばかりの顔立ちを見て「次の当主は生っ白くて弱そうだ」と軽く見てちょっかいを出 そうとしてきたのです。  そういった時、正澄は一族の前では見せたこともないぞっとするような視線を投げかけて黙らせる か、湧弥ゆずりの知略をめぐらせて始末をするという手段をとりました。わずかに残っていた(もう 大した連中はいませんでしたが)そういうやつらを黙らせたり片付けたりしつつ、正澄は湧弥が内裏 で意図的に行ってきたこと――御鏡の舞手が持つ優れた芸術面での才能をアピールすることにも力を 注ぎました。  湧弥は琵琶の名手として知られていましたし、正澄は笛の音に加えてその舞の美しさは『天人の舞』 と賛美されるほどでした。今までは呪い付きな上に武門の家柄として無骨で野蛮な連中、と頭から決 め付けられていた御鏡家ですが、湧弥と正澄のアピールで周囲の見る目が一変したのでした。  この辺は暁良が100の質問回答で「父上や祖父君が土台を作ってくれたようなもの」と言っています が、そんな風に見る目が変わったことで、暁良が当主を引き継いだ頃には、御鏡を呪いつきだと蔑ん でいた連中からも「舞っているところが見たい」とか「笛の音を聞かせてくれ」とか言う声がきかれ るようになり、彼の代で政治的な不安はほぼ一掃されました。以後御鏡家の立場は安定したものにな ります。    しかし正澄の本質はあくまでも柔和で穏やかなもの、彼のこういう行動はすべて敬愛する父のよう になりたい、という気持ちから来るものであったので、一族のためとはいえそういった知略をめぐら せて邪魔な存在を消したり、敢えて自分を見世物のようにしてでも御鏡の印象をよくする、というこ とには後ろめたさがありました。  その正澄の内面の葛藤に気づいたのが彼の異母妹の麗佳であり、元々恋心ではないにしろ正澄に淡 い憧れめいたものを抱いていた麗佳は、兄の力になれれば、と初陣の頃から健気に頑張るようになり ました。正澄もまた、そんな麗佳にかつて父の背中を追っていた自分の姿を重ね、素直な気性の愛ら しい妹をとても可愛がりました。  正澄は、自身が周囲から近寄りがたく、女所帯の中にあって神聖視すらされていたことも十分に自 覚していたので、息子の暁良が来訪した折には何よりも息子が素直な気持ちで育っていけるように配 慮しました。二ヶ月違いの男の子である月刃丸に、暁良を紹介して仲良くしてやってくれ、と頼み、 暁良と月刃丸はお互いに正反対なところが多かったためかすぐに仲良くなりました。  暁良自身の純粋で天然(笑)な気性によるところもありましたが、自分譲りの際立った美貌を持ち ながら、暁良は周囲から可愛がられ、歳の近い月刃丸と友情を育んでいくことになりました。  また、正澄は陰陽師でもありました。父の湧弥が陰陽師として陰陽寮に籍を置き、阿部晴明とも懇 意の仲だったので、正澄は父と同じ陰陽師の道を歩むことになりました。湧弥の死後は晴明の指導を 受けてさらに陰陽師としての能力を高めていきます。しかし、先にも述べたように、自分の負の部分 に微妙な後ろめたさを感じていた正澄は、繊細で純粋な気性の暁良に自分と同じ道を歩ませようとは しませんでした。当時は、陰陽寮の方でも色々とほの暗い事情があったからです。  そんな彼が使役していた式神が、黒揚羽でした。湧弥は出陣した際、目的を完遂した後邸宅の外に 出て自ら体を焼き払いましたが、その灰の一部を晴明が式神を使って回収し、黒揚羽の姿に変えて御 鏡の家へと送り届けられたことに由来しています。  正澄を描く時は、彼のイメージ花である紫の藤、そして使役する式神であり父の姿を重ねていた黒 揚羽が常にモチーフとしてある気がします。絵には藤の花こそありませんが、正澄が持っている扇の 柄が藤です。  
 

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