その月、隊長の環のもと、討伐隊は白骨城で恨み足、右カイナと左カイナを討ち取った。樹と隼斗に指示を出しな
がら、環は忙しく思考をめぐらせていた。
確かに、隼斗は頭に血が上ると周りが見えなくなる節がある。大筒が外れたり鬼に狙われたりした時に、それが顕
著に表れるようだ。樹は樹で、芯が強く思慮深い性格であるが、自分から戦略を進言することはめったにない。環の
指示を忠実に、しかも戦況を判断した上で十二分にそれを生かそうとする。
今まで、紫苑の指示どおり動いて見えた二人だったが、紫苑は彼らの気性をふまえた上でそれに見合った指示を出
していたらしい。環は鬼たちの動向と二人の身体の調子、気持ちの落ち着き方などに心を砕きながら指示を出した。
(こんなこと…紫苑はずっと昔からやってたんだ)
自らも刃を振るう一方で、他の者の様子を見、指示を出す。紫苑は何気なくやっているように見えたが、それを生
死のかかった戦いの中で行うのは、思った以上に骨の折れることだった。討伐から帰還するとあまりの疲労感に眩暈
を覚え、イツ花や紫苑親子の出迎えもそこそこに床につき、深い眠りに落ちた。
次に目が覚めた時、そこは明るかった。下げた簾の隙間から、長い雨の季節が明けたことを示す透明な日差しが差
し込んでいる。討伐から戻ってきたのは夕方だったが、随分日が高くなるまで眠りこけていたらしい。
夏の日差しは、高くなるにつれて着実に強さを増してきており、どうやらその暑さで目が覚めたようだった。衣の
下で体が汗ばんでいることが分かる。こんなに寝てしまったのは初めてだ、と環は着替えながら苦笑した。庭からは
輝夜と紫苑の声が聞こえてくる。彼の元気な娘は、相変わらず稽古に精を出しているらしかった。
汗を拭い、身支度を整えた環が簀子へ姿を現すと、背が伸びて愛らしさに磨きがかかった輝夜と紫苑、簀子に座り
込んでいた隼斗と樹がすぐにその姿に気がついた。夏の日差しの下でほどよく日に焼けた輝夜が、にこにこと元気よ
く挨拶した。
「あ、環姉様。おはようございまぁす」
成長した輝夜の元気の良さは、イツ花と張り合えそうである。それとは対照的に、振り返った隼斗が心配そうに声
をかけてきた。
「大丈夫か、環姉。身体の具合、悪いんじゃねえのか?薬飲んだ方がよくねえか」
「え?やぁね、そんなことないわよ。確かに寝過ごしちゃったけど」
「イツ花が環様は大丈夫、ゆっくり寝かせてあげましょうって言うからそうしてたけど…寝たままぴくりとも動か
ないから、そのまま起きてこないんじゃないか、って心配してたんです」
座り込んでいた樹も、環を見上げながらそんなことを言った。
「うん…ごめんね、ちょっと疲れちゃったみたい」
環が肩をすくめてそう答えると、樹が心持しょんぼりしたように眉根を寄せた。
「申し訳ないです…。隊長の環姉さんがそこまでくたびれる、っていうのは、俺達の補佐が足りないから…ですよ
ね」
「だな。ごめん環姉、次はもうちょっと迷惑かけないようにするよ」
「そ、そんなことないわよ?二人とも、とてもよくやってくれたと思うし…慣れない大役だったからよ。大丈夫」
隼斗まで神妙な顔になってしまったので、環は慌てて顔の前で手を振り、努めて元気よく笑ってみせた。そのやり
取りを見ていた紫苑が、たくましい腕を組んで呆れたように苦笑した。
「まったく。あんまり寝てると目がふやけるぞ。輝夜の指南が一段落ついたら、叩き起こそうかと思ってたんだぜ。
ものも食わないで、よくもまあそんなにぐうぐう寝てられるもんだ」
紫苑が大きく息をつきながら腰に手を当てると、その言葉に誘われるようにして環の腹が控えめに自己主張する。
それに追い討ちをかけるように、イツ花が台所から絶妙の間で現れて環に声をかけた。
「あ、環様お目覚めですか?お腹が空いたでしょう、今お粥を作りますからね。ちょっとお待ち下さいね」
皆がそれを聞いて一斉に笑い、環は茹でたようになって小さくなってしまった。
「たかが一回討伐隊仕切っただけでへばりすぎだ、どれだけ気張ってたんだよ」
庭では、輝夜が兄相手に稽古の成果を試しているところだった。それを眺める隼斗は、簀子の上からどうした樹、
などと野次を飛ばしている。紫苑は部屋の中に座り込んでその様を見ていたが、遅すぎる朝餉をとって戻ってきた環
を、やれやれと言った風に呆れ顔で見上げた。環は照れ笑いをしながらその横に座る。
「うん…。だって樹は指示どおりのことを十二分にやってくれるし、隼斗は気持ちが乗ってるときはすごくいいん
だけど、かっとなると途端に周りが見えなくなっちゃうでしょう。二人にどんな指示を出すか、って考えながら戦っ
てたから、普段よりくたびれちゃった…んじゃないかな」
「そこまで疲れるほど考え込まなくてもいいんだぞ、あいつらだって右も左も分からないわけじゃねえんだし」
「でも樹と隼斗はまるで気性が違うから、指示を出すにしても全く違ってくるもの。…紫苑がそういう風に思える
のは、当主としての優れた才があるからよ」
不意に環から真面目な顔で見つめられて、紫苑は驚いたようにその瞳を見つめ返し――眉をせわしなく動かしてく
るくると表情を変えた後、ふいと顔を背けてしまった。
「べ――別に。餓鬼の頃からやってきたことだからな。お前は言い方が大げさなんだよ」
その後頭部に視線を注いだまま、環は素直に紫苑へ賛辞を贈った。
「ううん。子供の頃から、こういうことができたってこと自体、凄いと思うの。先代様が紫苑を当主にしよう、っ
て決断されたのも分かるわ。私だったら、今でもこんなにおろおろしてるのに、子供の頃だったら尚のことできなさ
そうだもの」
紫苑は顔を背けたまま、背中が痒いような仕草をしてよせやい、とつぶやいた。
「話が逆だろ、俺は餓鬼の頃からやってるからだ。要は、慣れだ慣れ。来月はいい歳してこんなみっともないこと
になるなよ。お前を討伐隊長にした俺が恥ずかしいじゃねえか」
振り向いた紫苑の顔は、照れ隠しをする子供のようだった。くすくす笑う環に紫苑は仏頂面になったが、ふと目を
伏せて薄く笑った。
「いい歳、か…お前ももうここ来て一年以上経ったんだな。交神のこと、考えとくよ」
「え、うん?」
思いがけないことを言われて、環は驚いたように目を数度瞬かせた。
「とりあえず、みんな大した怪我もなかったし戦果も上々、初めての討伐隊長としちゃ上出来だ。来月も宜しく頼
むぞ。今月みたいな無理はするな」
紫苑はそんな環にはお構いなく立ち上がって、よーし続きだ、と庭で兄を投げ飛ばしていた輝夜に声をかける。
「あ、紫苑…」
環が庭へ歩きかけていた紫苑を呼び止めた。
「うん?」
「こないだ、ごめんなさい。私、出すぎたこと言っちゃって…」
こないだ、というのは環が交神について尋ねた時のことだが、紫苑は初め何のことかよくわからなかったようだ。
一瞬呆けたような顔をし、そのあとああ、と小さく呟いて笑った。
「いや。お前がいつまでたっても手がかかるから、もうそんな頃だってことすっかり忘れてたのさ。教えてくれて
ありがとな」
環は何よ、と頬を膨らませた。
「もう。私がいつ紫苑の手を煩わせたのよ。…そりゃあ、昔はそうだったかもしれないけど…下の子たちが来てか
らは、そんなことなかったはずでしょ」
それに対して、紫苑はしれっとした顔で首をすくませる。
「へえ?たかが一回、隊長を務めたくらいで音を上げたのは誰だったっけ」
「紫苑っ」
膨れっ面の環を残して紫苑は庭に降り立ち、地面にへたり込んでいた息子を見て眉尻を下げた。
「何だよ、樹。だらしねえな、輝夜にやられっぱなしじゃねえか」
「輝夜のやつ、何であんなに元気なんだ…。俺、もう無理です」
「兄様、まだぁ?」
汗まみれ、土まみれになった樹がげんなりと息をつくのとは対照的に、輝夜はまだまだ元気一杯のようだった。飛
んだり跳ねたりしながら兄を待っている様子は、どことなく兎に似ている。
「年上なんだからもっと気合入れろよ。輝夜はまだまだやる気満々みたいだぞ」
紫苑が大きく息をつくと、遠くからイツ花が樹様、洗濯物増やさないで下さいよう、と言う声が聞こえた。
「後で俺が自分で洗えばいいんだろ!うう、身がもたない…」
樹が珍しくぶっきらぼうな調子でその声に言い返し、簀子では隼斗が身体を二つに折り曲げてげらげらと笑ってい
た。
「隼斗兄さん、笑ってるんだったら代わってくれよ」
「やだね。可愛い妹はお前を直々にご指名だぞ」
「ったく、しょうがねえなあ…樹、交代だ」
さらに白さを増し始めた始めた日差しの下、環はそんな和気藹々とした様子を柔らかな笑みを浮かべて見つめてい
た。
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