そうして、迷いが消えないまま迎えた初陣の日。将臣は、既に一人では歩けないほど衰弱していたが、それでもイ ツ花に支えられて討伐隊を見送った。  「じゃあイツ花、将兄、行ってくるぞ。将兄、ちゃんと寝てろよ」  「ああ、みんな気をつけて」  紫苑が威勢良く言うのを、環は上の空で聞いていた。将臣の方を見たら、泣き出してしまいそうだった。しかし、 この場で行きたくない、父様のそばにいたいと駄々をこねたら、父を困らせてしまうであろうことも分かっていた。  唇を噛み、俯いてしきりに瞬きをしている愛娘の髪を、将臣は慈しむように撫でた。  「環。無事帰ってきて、元気な顔を俺に見せてくれ」  「……はい」  俯いたまま、消え入るような返事を返すのが精一杯な環の前に、紫苑がずいと割って入った。  「よぉし、じゃあ出発だ。イツ花、いつもの頼むぜ!」  「はい、では…バァーンとォ!行ってらっしゃいませー!」  イツ花の元気な声を背に、環は後ろ髪をひかれる思いで家を後にした。家が見えなくなった頃、両のまぶたがとう とう熱さを堪え切れなくなり、染み出してきた涙の帳が目の前を覆ってしまった。唇が小刻みに震えるのを強く噛み しめて抑えようとしたが、どうにもうまくいかない。俯いて瞬きをすると、二つの熱い雫がぽつんと地面へ落ちてい く。豊かな睫毛に雫の一部が引っかかったままだが、目じりの方からまた熱さが忍び寄ってくる。泣いていることが 知れないように、とにかく俯いたまま何度も瞬きを繰り返すのが精一杯だった。  環の様子に気づいた狭穂が、そっと手を握ってやる。残月も、二人に合わせて歩調を緩めた。  「紫苑。今月はどこに行く?」  残月が、後方に構わずずんずんと先頭を行く紫苑に声をかけた。紫苑は三人よりも、既に六、七歩ほど先にいる。  そうだな、と紫苑は小さくつぶやくと足を止め、けだるげに首を回した。  「環が初陣だから、相翼院にするよ。あそこなら道も入り組んでないし、鬼も大したことない――おい、環」  不意に名前を呼ばれ、環は慌てて袖で顔を擦りつつ顔を上げたが、紫苑はそんな彼女の方を振り返りもせず、ぶっ きらぼうに言い放った。  「いい加減、その鬱陶しい泣き虫をどうにかしろ。でないと、怪我するだけじゃ済まねえぞ」  必死で堪えていたのに、泣いていたことを言い当てられてしまったので、環の頬にさっと紅がさした。  「泣いてないもん」  「何が泣いてないだ、目真っ赤にしてるくせに。いつまでそうやってめそめそしてるつもりだ」  思わずむきになった環に、紫苑は振り返ると口を尖らせて言い返す。実際に目が真っ赤であろうことは自分でも分 かっていたから、環は目に涙をためたまま無言で俯くしかなかった。  「紫苑。環は今月が初陣なんだ、もう少し優しく言ってやれないのか」  残月が端正な眉をひそめて注意したが、辛辣な返事が返ってくるばかりである。  「いちいち言われなくたって、そんなこと分かってるさ。初陣だからって狭穂姉に手を引いてもらってるようじゃ あ、この先が思いやられるって言ってんだ。おままごとしに行くんじゃないんだからな」  環は俯いて目をしきりに瞬かせながら、唇を噛みしめて黙りこくっている。見かねた狭穂が、強い調子で割って入 った。  「紫苑。どうしてあんたはそういう言い方しかできないの?環は初陣で不安なんだろうし、家に残った将臣兄さん のことだって心配なの。当主ならそのくらい思いやってあげなさいよ」  狭穂の言葉に紫苑は黙り込むと、ふてくされたような顔で鼻から大きく息を吐き出し、三人に背を向けて乱暴に歩 き出した。環は、その後姿をきっと睨みつける。  環は父の言うことに疑いを抱いたことがないが、紫苑が自分のことを気にかけている、ということだけは未だに納 得がいかなかった。  (気にかけているなんて…そんなこと、あるわけがない)  こっちがどれだけ哀しいか分かりもしないくせに、意地悪なことばかり言うんだから――  狭穂は二人を見比べてふう、と吐息をつくと、眉間に皺を寄せたままの環の手をとって歩き出した。     
 
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